銀貨は投げない
星祭りの夜、王女ティナは一枚の銀貨で婚約者を決めた。表なら北の皇子アルベルト、裏なら南の大公。宰相に言われるまま投げ、表を出した結果、三年後には北国の傀儡として王位も国境も失った。
処刑台の刃が落ちた次の瞬間、銀貨は再び彼女の掌にあった。
星形の傷まで同じ銀貨。宰相は群衆へ聞こえる声で告げる。
「さあ、運命にお任せなさい」
前の人生では、その言葉に背中を押された。ティナは親指に力を込め、しかし銀貨を空へ弾かず、拳の中へ閉じ込めた。
「運命ではなく、条約を読める方を選びます」
祭壇の空気が凍る。宰相が笑って取り繕った。
「古来のしきたりを、お戯れで変えてはなりません」
「では確認しましょう。アルベルト殿下、北方婚姻条約の第八条をどう解釈なさいますか」
前の人生で国を奪った一文だった。王女が北へ嫁いだ場合、係争地の統治権は夫側へ移る。皇子が答えを誤魔化せば、そこで断れる。
だがアルベルトは一歩進み、はっきりと言った。
「無効です。婚姻で領土を譲渡する条項は、対等な盟約ではない。私は削除を求めるために来ました」
ティナは目を見開いた。一度目の祭りでは、彼に発言の機会すら与えなかったのだ。
焦った宰相が銀貨を奪う。ティナは手を開き、用意していた短剣の柄で銀貨を割った。中から片面だけを重くする鉛がこぼれる。どちらの候補を選ばせるか、最初から決められていた証拠だった。
割れた銀貨を見て、南の大公も肩をすくめた。彼は選ばれなかったことに怒らず、「私も仕組まれた勝負は御免だ」と証人席へ移る。二人の候補者まで宰相の筋書きから外れた。
群衆のざわめきが怒号へ変わる。近衛が宰相を囲み、祭壇の婚約宣誓書から彼の署名だけが黒く焼け落ちた。
ティナはアルベルトへ向き直る。
「条件を削った後で、改めて私と話してくださる?」
皇子は、前回のような完璧な外交用の礼ではなく、安堵した青年の顔で膝をついた。
「王国ではなく、まずティナ殿下ご本人に選んでいただきたい」
銀貨が決めた未来では、一度も聞けなかった言葉だった。