鍵はスタジオに残す
二十三時五十分。荻野奏吾は地下の練習スタジオで、増尾史佳からロッカーの鍵を受け取った。予約終了まで十分。赤いギターピックを削って作った札が、鍵にぶら下がっている。
大学時代から七年、二人は週に一度ここへ入った。バンドではなく、仕事でもなく、客のいない二人組だった。史佳が歌詞を書き、奏吾が曲をつける。恋人になれば壊れる、友人なら続く。どちらが先に言ったのかも忘れたその言葉を、二人とも便利に使ってきた。
「来月から、新しいユニットでやる」と史佳が言った。
「聞いた。ボーカル、男なんだってな」
「そこが気になる?」
「友達としては、いい相手だと思う」
史佳はマイクの電源を切った。今夜録った最後のデモを共有フォルダへ送る。進捗表示は遅く、残り七分と出ていた。
「鍵、奏吾が持つ?」
「もう来ないなら、俺も使わない」
「一人で曲を作ればいい」
「君じゃない声を想定して作る練習をするよ」
それを聞いて、史佳は小さく頷いた。怒ったようにも、諦めたようにも見えた。
二十三時五十八分。彼女は先に階段を上がった。新しい相手が車で迎えに来ているらしい。奏吾は鍵を返却口へ入れようとして、転送の完了音を聞いた。
ファイル名は〈友達のままで_最終版〉。再生すると、いつものイントロのあとに、録音中にはなかった声が重なった。史佳が一人で残した別トラックだった。
〈この曲が完成したら、奏吾に好きだと言う。完成させないでいたのは、終わるのが怖かったから〉
続く無音のあと、別の声が小さく入っている。六年前の奏吾だった。
〈友達なら、ずっと隣にいられる〉
機材テストの録音を、史佳は消さずに持っていた。その一言を答えだと思い、完成を延ばしてきたのだ。
地上から車のドアが閉まる音がした。奏吾が電話をかけると、史佳は出ず、共有フォルダからファイルだけが消えた。
午前零時。照明が自動で落ちる。奏吾は赤いピックの札を外してポケットへ入れ、鍵だけを返却口へ落とした。