鏡の客

旅行作家の水城依都がホテルの浴室から戻ると、机の鍵付き箱から未発表の日記が消えていた。午後八時五十分には本人が箱へ戻したのを確認している。婚約者の伏見は九時に退室し、姉の白河と客室係の峯岸はその後の十分間に同じ階へいたため、三人が容疑者となった。

伏見は「九時十分の室内カメラ画像を見てください。依都はその時、別の客と向き合っていた」と主張した。保存画像には依都の肩と、テーブルに並ぶ白いマグが二つ写っている。二人目の客が白河か峯岸なら、日記が消えた時刻も犯人も伏見から遠ざかる。依都自身も、伏見が置いていった細い姿見を部屋の飾りだと思い、気に留めていなかった。

写真家の青砥は画像を一度拡大した。

「手掛かりは三つです。二人目の客は最初からいません」

一つ目。右のマグに印刷されたホテル名だけが左右逆である。

二つ目。二つのマグの底が接する位置に、天井から卓上まで細い銀色の線が通っている。

三つ目。室内カメラの操作履歴では、九時十分の自動撮影を八時五十四分に予約した端末が、伏見の携帯だけだった。

白河は息を呑んだ。

「右側は鏡像……?」

青砥はうなずいた。伏見は画像を拡大する手を止めた。

「鏡なら、依都が置いたのかもしれない」

「撮影を予約したのはあなたです。日記を持ち出した後、存在しない客へ疑いを渡す準備までした」

依都は、伏見が鏡を置いた時の何気ない会話を思い返した。あの時は身支度に便利だと思っただけだった。伏見はもう画像を見ず、閉じた携帯の黒い画面に自分の顔を映していた。

「一個のマグの横へ細い姿見を立てれば、カメラには二個に見える。逆の文字が鏡像を、銀線が鏡の縁を示し、予約履歴が仕掛けた端末をあなたの携帯に限定します。伏見さん、あなたは退室前に鏡とタイマーを置き、九時十分の“客”を作った。二つ目のマグは、白河さんや峯岸さんが入室した証拠ではありません。日記が最後に確認された後、箱のそばにいたのはあなたです」青砥が姿見を倒すと、マグは一つへ戻り、伏見が作った容疑者も一人消えた。