鐘を鳴らさない戴冠式
魔界の戴冠式では、九十九の鐘を同時に鳴らす。
そう聞いた夜から、ティセは眠れなくなった。人間の町が襲撃された日も、警鐘が鳴り続けていたからだ。
式の朝、城は不自然なほど静かだった。
窓の外を見ると、鐘楼という鐘楼に黒い布が巻かれている。魔王グラディスは広間で将軍たちを震え上がらせながら、ティセにだけ小さな耳当てを差し出した。
「念のためだ」
「鐘を止めたのですか」
「おまえが嫌いだと言った」
「一度、顔をしかめただけです」
「それで足りる」
九十九の国を力で従えた最強の魔王は、兵の泣き言を聞かない。けれどティセが大きな音の前で肩をすくめることだけは、誰より早く気づく。
戴冠の刻、祭司長が二つの王冠を掲げた。
「魔王グラディス陛下と、人間の伴侶ティセ様に永遠の契りを!」
ティセは目を見開いた。自分の王冠があるなど聞いていない。
祭司長が近づき、冠を載せようとする。
「待ってください。私は戴冠しません」
「すでに全魔族へ布告済みです」
「でも、私は返事をしていません」
広間の空気が張りつめる。グラディスが望むものを拒んで生きて帰った者はいない、と誰もが知っていた。
魔王は祭司長から王冠を取り上げた。
「なぜ本人より先に布告した」
「陛下が特別に寵愛しておられるゆえ、当然かと」
「余の寵愛は、同意の代わりにならない」
グラディスはティセの前へ膝をついた。服従ではなく、目線を合わせるためだけに。
「今日は見ていたいか。部屋へ戻りたいか。式をすべてやめてもいい」
「あなたの戴冠は見たいです。私の冠はいりません」
「分かった」
彼は自分の王冠だけを受け取った。祭司長が慌てる。
「対の冠がなければ、古法に反します!」
グラディスはティセ用の王冠を握り潰し、金の粉を風へ散らした。
そして九十九の鐘が沈黙したまま、彼は玉座へ上がる。
「本日の戴冠は一名のみ。ティセを妃と呼ぶことも、冠を載せることも禁ずる」
魔王の命令が静かな都へ広がった。
「彼女が自分で望む日まで、余の隣の席は空席とせよ」