閉店後の水玉模様
花房紗久が残業を終えると、マンションの傘立てから、水玉模様の傘が消えていた。
代わりにあったのは、紗久の肩幅より大きな黒い傘。持ち手には、見覚えのない青いテープが巻かれている。
夕方、ロビーへ入ったのは、隣室の瀬名奏多と娘の小町、宅配員の舘林修、管理人の梶野英二だ。舘林は荷物を置いただけ。梶野は床の水滴を拭いた。奏多親子は、犬の散歩から戻ったところを防犯カメラに映っている。
黒い傘の留め具には白い犬の毛が一本。低い位置に小さな泥の手形があり、青いテープの下から、水玉の布切れがのぞいていた。
紗久は隣室の呼び鈴を押した。出てきた奏多は、黒い傘を見るなり肩を落とした。
「やっぱり、分かりますよね」
小町が散歩へ出るとき、紗久の傘を自分のものと取り違えた。途中で強い風にあおられ、一本の骨を折ってしまったという。奏多は自分の黒い傘を代わりに置き、壊れた水玉傘を修理店へ持っていった。
「先月、足音のことで注意されたばかりだったから」
奏多は言いにくそうに目を伏せた。
「また迷惑をかけたって、どう謝ればいいか分からなくて」
紗久は、苦情を言ったのが自分だと思われていることに気づいた。実際は上の階からで、紗久は梶野に「小町ちゃんが怖がらない言い方にしてください」と頼んだだけだった。以来、小町は廊下で会うたび小さく頭を下げ、紗久も声をかけるほど気まずさを増やす気がして黙っていた。
そのとき、小町が奥から水玉傘を抱えてきた。骨は直り、折れた場所にだけ青い糸が巻かれている。
「今日、できたの?」
「お店のおじさんが急いでくれた」
小町は唇を結び、何度も練習したらしい言葉を言った。
「勝手に使って、壊して、ごめんなさい」
紗久は傘を開いた。青い糸は目立つ。でも、水玉の間に新しい模様が増えたようにも見えた。
「次から、借りるときは呼んでね」
「貸してくれるの?」
「犬の散歩なら。風が弱い日に」
小町はほっとして、紗久の袖をつまんだ。
「今度は、ちゃんと一緒にさそう」