間違った子守歌
母が亡くなったとき、ぼくは六歳で、姉ちゃんは二十四歳だった。
親戚は施設や転校の話をした。姉ちゃんは全部聞いたあと、「私が養子にします」と言った。
帰り道、ぼくは手を離した。
「姉ちゃん、お母さんになるの?」
「書類の上では」
「じゃあ、姉ちゃんはいなくなる?」
姉ちゃんは立ち止まり、しゃがんだ。
「私は姉ちゃんのまま。お母さんの仕事も増えるだけ」
「二つもできる?」
「たぶん両方へた」
その夜、ぼくは眠れなかった。
「お母さんの歌、歌って」
姉ちゃんは困った。母がいつも歌った子守歌を、途中までしか覚えていなかった。
最初の二小節で音を外し、三小節目から別の歌になった。
「違う」
「じゃあ教えて」
「ぼくも分からない」
二人で覚えている部分をつなぎ、分からないところは鼻歌で埋めた。最後には、元の曲とまるで違う歌ができた。
「お母さん、怒るかな」
「笑うと思う」
姉ちゃんはその歌を、ぼくが一人で眠れるようになるまで毎晩歌った。
参観日には仕事を抜け、熱を出せば病院へ走り、反抗期には「母親ぶるな」と怒鳴られた。
「母親の仕事もしてるんだから、少しはぶらせて」
姉ちゃんは泣きながら言い返した。
高校卒業の日、ぼくは養子縁組の書類の写しを初めてちゃんと読んだ。
姉ちゃんは、自分の貯金も時間も、若かったはずの生活も、そこへ署名していた。
「後悔した?」
尋ねると、姉ちゃんは考えた。
「した日もある」
「あるんだ」
「家族だからって、毎日正解だと思わなくていいの」
それから十年後、姉ちゃんに赤ん坊が生まれた。
夜泣きに疲れ、抱いたまま居間で眠りかけている。ぼくは赤ん坊を受け取り、あの子守歌を歌った。
姉ちゃんが目を開けた。
「そこ、音が違う」
「うちでは、これが正しいんだよ」
赤ん坊は泣きやんだ。
姉ちゃんは笑い、また目を閉じた。
母の歌を二人とも正しく思い出せなかったから、ぼくらは自分たちの歌を作った。
姉であり母である人から、弟であり息子であるぼくへ。
そして次の子へ。
間違ったまま受け継がれるものも、家族の形になる。