雪に沈む地図

エイヴァルの地図には、存在しない峠が一本描かれていた。

羊皮紙の中央を走る赤線は、北砦から王弟軍へ至る最短路に見える。だが赤線の先は冬になると底なしの雪穴だ。馬も人も戻らない。

本当の命令は地図の余白だった。北砦の司令官なら、右下だけ煤がついていないことに気づく。そこへ指を置けば、古い炭焼き道の入口を隠していると分かる。

エイヴァルは敵に捕まるため、わざと蹄跡を深く残した。馬の腹帯を緩め、右後脚だけに雪を固めた。追跡者には、急ぐ単騎が地図を抱えて逃げたように見える。捕まらなければ偽図はただの羊皮紙だった。

日が落ちる前、灰狼隊が追いついた。槍の石突で背を打たれ、雪へ伏せられる。隊長のヴァルクは地図を奪い、焚火の前で広げた。

「王弟はどこへ逃げる」

「赤い峠だ」

「地図を見れば分かる」

「なら聞くな」

口の中で歯が折れた。ヴァルクは怒らず、赤線を指でなぞった。怒らない男ほど、地図を信じない。

「この余白は何だ」

エイヴァルは黙った。余白を見つめれば、そこが重要だと教える。視線を赤線から外さなかった。

ヴァルクは地図を火にかざした。炙り文字を疑ったのだ。羊皮紙が縮み、煤のついた部分だけが黒く浮いた。右下の白さが、かえって目立つ。

「ここに道があるな」

賭けは外れたように見えた。

エイヴァルは笑った。折れた歯の隙間から血が垂れた。

「炭焼き道を二千騎で通れるならな」

ヴァルクは初めて赤線を見直した。狭い隠道を疑わせれば、大軍は使えない。だが少数の追手なら送る。エイヴァルの役目は、敵を二つに割ることだった。

「五百を余白へ。残りは赤い峠だ」

命令が下る。十分だった。

敵の斥候が赤い峠へ走り、別の一隊が余白の方角へ消えるまで、エイヴァルは焚火のそばで殴られ続けた。地図が信じられたことを、遠ざかる蹄音で確かめた。

夜更け、エイヴァルは縄を切って逃げた。袖口に縫った薄刃で手首を血だらけにし、見張りを一人雪へ沈めた。北砦へ着いたとき、地図はもう敵の手にある。

司令官は彼の空の手を見て、問いたださなかった。

「何騎、割れた」

「五百」

司令官は炭焼き道を見下ろした。そこには王弟軍の槍が、音を殺して並んでいる。

夜明けの角笛が鳴り、雪原へ進む命令が下った。