雪宿の延長一泊
山あいの温泉宿は、吹雪で道路が塞がれた。卒業旅行の最終日が一日延び、滝沢直樹、青柳茉由、稲垣悠真は、同じ八畳間で二度目の夜を迎えた。
卓上には三つの湯呑みと、宿から出された延泊同意書があった。
「私、明日の入社前研修、間に合わないかも」と茉由が言った。
直樹はスマートフォンを伏せた。「会社に電話すればいい。雪なんだから」
「そうじゃなくて、行きたくない」
悠真が窓の障子を少し開けた。外は白しかなかった。
茉由は続けた。「地元の市役所、補欠で通った。今朝連絡が来た。東京の広告会社を断って、そっちへ行く」
「ずっと東京に出たいって言ってたのに」
「出てみたかっただけ。住みたかったわけじゃなかった」
直樹は笑おうとして失敗した。「じゃあ俺だけ東京か。建設会社の寮、三人で遊びに来いよ」
悠真が「俺、卒業できない」と言った。
湯呑みの湯気が細くなった。
「単位?」と茉由。
「卒論。出さなかった。来年もう一回やる。父さんの工場を手伝いながら」
直樹は机を叩いた。「何で黙ってた」
「旅行を中止にされたくなかったから」
「俺たちはそんなに薄情か」
「薄情じゃないから困るんだよ」
吹雪の音が、三人の沈黙を均等に埋めた。四年間、誰かが遅れれば二人が待った。留年も転職も帰郷も、昔なら「待つ」の一言で片づけられた。けれど春からは、待つこと自体が相手を責める行為になる。
茉由が延泊同意書に署名した。「明日もここにいるのは同じ。でも、その次は違うね」
直樹も署名した。二人の字は同じ欄に並んだ。悠真だけはペンを持たなかった。
「俺、今夜のうちに歩いて駅へ行く」
「道、閉鎖されてる」
「宿の車が麓まで出るって。俺だけ乗れる」
午前三時、悠真の布団が畳まれた。二人は眠ったふりをして、襖の閉まる音を聞いた。
翌朝七時、道路はようやく開通した。玄関の下駄箱には、直樹と茉由の濡れた靴が並び、その間だけ雪の粒が残っていた。悠真が借りた宿の長靴は返却棚にきちんと揃えられ、片方の中に、署名しなかった延泊同意書が丸めて入っていた。