雪道の青い薬箱

山あいの透析診療所へ青い薬箱を届ける。それが八田澤凌の夜明けの一件だった。降雪で定期便が止まり、午前十時の治療までに届く車は彼の二トン車しかない。伝票には時間指定の赤線が二本引かれていた。

峠の手前で、凌は車を待避所へ入れた。雪はまだ薄い。助手席の臨時便担当は首をかしげた。

「チェーンは上で巻けばいいでしょう。今なら走れます」

凌は車体を横から見た。後輪の泥よけが、右だけ低い。荷室を開けると、薬箱より重い透析液のケースが、すべて最後尾に寄せて積まれていた。急いだ倉庫員が、降ろしやすさだけで並べたのだ。

このまま坂へ入れば、後ろに軸重が偏る。上りでは前輪が軽くなり、曲がりにくくなる。さらに下りで荷物が前へ滑れば、一気に姿勢が変わる。凌は時間を見たが、ドアを閉めなかった。

ケースを車軸の上へ移し、左右の高さをそろえる。薬箱は最後に降ろせる位置を保ちながら、固定帯を二本掛けた。それから乾いた待避所でチェーンを巻いた。雪の斜面で作業を始めるより、十分早く、ずっと安全だった。

峠の途中、前方の軽トラックがカーブで空転していた。凌は車間を取り、停止せずに低い速度を保った。助手は黙って右後輪のあたりを見ていた。

診療所に着いたのは九時四十三分。看護師は青い箱を抱え、何度も頭を下げた。凌は納品先より先に、車体の傾きを確認した。偏りは消えている。

積み替えに使った十二分は、診療所へ遅れる十二分ではない。坂で立ち往生する一時間を消す十二分だった。凌は助手に、固定帯へ雪が噛んでいないか触らせた。凍った帯は締まって見えても、車内が暖まれば緩む。峠へ入る前に、二人で結び目をもう一度引いた。

帰り支度をしていると、営業所から連絡が入った。麓の薬局で、発熱した子ども用の薬が雪待ちになっているという。

「峠を越えた車は、八田澤さんだけです」

凌は濡れた手袋を暖房口に置かなかった。乾かす時間は下り坂にはない。チェーンをもう一度締め直し、空になった荷室の軸重を頭の中で組み直した。