骨で聴く歌

御厨小夜子の遺品に、片方だけの骨伝導イヤホンがあった。娘の鴇田塔子が耳の前に当てると、同じ日に予約投稿された曲が自動で再生された。

スピーカーから流すと、ただの暗いインストゥルメンタルだった。だが骨に触れさせると、頭蓋の内側で母の声が鳴る。

「聞こえてる」

低いベースが顎を震わせた。

小夜子は晩年、病気でほとんど声を失っていた。歌手だった頃の音源も、克巳が「治療費のため」と言って権利ごと売った。母は紙に短い言葉を書き、塔子には骨伝導の振動で旋律を教えた。二人だけの会話だった。夫の峰岸克巳は、ガス漏れ事故で妻を亡くした悲劇の人として取材に答え続けた。塔子も、台所の元栓を閉め忘れた母を責めないよう、自分に言い聞かせていた。

Aメロには歌詞がない。壁を叩く音、引き出しを閉める音、細い呼吸。幼い塔子が寝室で泣いていた夜、母が隣室から返してくれた合図と同じだった。

「大丈夫。ここにいる」

その声で、塔子は膝を抱えた。母は聞こえないふりをしていたのではない。夫が娘を怒鳴るたび、壁越しにすべて聞いていた。

再生画面の波形は、声の部分だけ細い白線になっている。母が自分の残り少ない息を、一語ずつ削って録った跡だと塔子には分かった。

サビで音が急に明るくなり、直後に金属の擦れる音がした。ガス栓をいったん閉じ、もう一度開く音。続いて母の声。

「聞こえてる。あなたが戻した音も」

背後でドアが開いた。克巳が立っていた。

「くだらない。そんな録音、証拠になるか」

塔子はイヤホンを外さなかった。外しても、部屋には音が流れていない。母の言葉は骨を通して塔子にしか届かないはずだった。

「どうして『録音』だと分かったの?」

克巳の顔から色が消えた。

塔子はスマートフォンの録音ボタンを押し、母と同じ言葉を返した。

「聞こえてる」

最後の一音は、母の歌ではない。克巳が逃げようとして、鍵をかけたドアを乱暴に揺らす音だった。