高級時計と空の家
白砂灯佳が伯母・寿々江を看取った夜、従兄の欣吾と美雨は病院へ来なかった。二人が現れたのは翌朝、実家の査定業者と古物商を連れてからだった。
「灯佳は姪だから相続人じゃない。長年住み込んだ家賃は介護で相殺ね」
欣吾は金庫から高級時計を、美雨は宝石箱を持ち出した。灯佳が財産目録を作るまで待ってと言うと、二人は「自分たちの物を運んで何が悪い」と笑った。古物商には即日で売り、現金を半分ずつ分けた。
灯佳は止めなかった。ただ、伯母から渡されていた保険会社の封筒だけを鞄へ入れた。
一週間後、相続手続のため税理士事務所に集まると、欣吾は家も預金も単純承認すると宣言した。すでに家財を処分している以上、今さら相続放棄は考えていないという。
税理士が財産目録を読み上げた。
自宅はリバースモーゲージの対象で、死亡時残高は四千二百万円。加えて、寿々江が連帯保証していた欣吾の会社の借入金が期限の利益を失い、保証債務三千万円が確定していた。会社は前月から返済を止めている。
「待て。家を売れば残るだろ」
「近隣の成約価格から見て、売却しても債務を全額返せません」
美雨が青ざめる。
「じゃあ今から放棄する」
同席した弁護士が首を振った。相続財産と知りながら時計や宝石を売却し、代金を私的に消費した行為は、相続を承認したものと扱われる可能性が高い。売った品の中には伯母が美術館から借りていた展示用ジュエリーもあり、返還請求も届いていた。
灯佳へ視線が集まる。
彼女が受取人に指定されていた介護年金保険と死亡保険金は、遺産の外にある。伯母は自宅の債務も保証のことも説明し、灯佳には相続放棄を勧めていた。灯佳は死亡翌日に手続を始め、家から自分の物だけを持ち出している。
欣吾が保険の封筒へ手を伸ばした。
「それも伯母さんの金だ。分けろ」
「受取人は灯佳さんです。お二人が分けられるのは、引き受けた債務だけです」
弁護士は債権者から届いた催告書を二通、売却代金を使い切った二人の前へ並べた。