黄色い停止札

 大型プレスの奥へ落ちた金具を、新渡戸葉子は拾わなかった。

「電源を切って、停止札を掛けてください」

 班長の鐘江義臣は鼻で笑った。

「一分で済む。新人はすぐ大げさにするな」

 機械は停止中に見えても、次の工程を待つ圧力が残っている。葉子が手を入れなければ、鐘江は評価表の《協調性》を最低にすると言った。

「怖いなら工場に向いてない。私が許可する」

「班長の許可では、手順を省けません」

 同じラインでは先月、手袋の端が金型へ引かれかけた。報告書には《本人の不注意》とだけ書かれ、鐘江は朝礼で「騒ぐほど仕事が遅くなる」と笑った。葉子はその報告書を読んでいた。だから声が震えても、札から手を離さなかった。金型の奥では、落ちた金具が振動のたび小さく鳴っていた。急ぐ理由には聞こえなかった。

 葉子は黄色い停止札を手にしたまま動かなかった。

 鐘江は彼女から札を奪い、操作盤の保護カバーを開けた。管理者番号を入力し、安全扉の検知を一時解除する。

「こうやって現場は回すんだ」

 金具を取れ、と顎をしゃくった瞬間、天井の警告灯が赤く点滅した。

 月例の品質巡回だと思っていた一団が、ライン脇で足を止める。先頭にいたのは、新任の工場長と外部の安全監査員だった。監査は日時を知らせない抜き打ち方式に変わっていた。

 鐘江はすぐカバーを閉めた。

「訓練です。新人が手順を理解しているか確認していました」

 監査員は葉子の手に残った停止札と、床の金具を見た。

「では、解除操作の記録を確認します」

 安全制御盤から履歴が呼び出される。《検知無効》《残圧あり》《管理者・鐘江義臣》。その下には、葉子が三度押した《作業拒否・危険状態》の記録も並んでいた。

「このボタンを押したら評価を下げると伝えただけです」

 鐘江の声が細くなる。

 工場長はマスター端末へ社員証を当てた。画面の鐘江の名前が灰色になり、プレスの鍵が排出される。

「鐘江班長の操作権限を、ただいま停止しました」