黒翼の王を洗う日
港へ黒翼王が墜ちた朝、船乗りたちは海の終わりだと騒いだ。
鷲の上半身と獅子の胴を持つ神獣は、古い倉庫の屋根を潰してうずくまっていた。濡れた翼から黒い雫が落ち、石畳を汚している。
「疫病の油だ。火で清めろ」
司令官が松明を命じたとき、洗濯女のイーラは桶を抱えたまま叫んだ。
「それ、船油です!」
鼻を刺す鯨油と松脂の匂い。帆布の防水に使う混合油で、昨日も洗い場に持ち込まれたばかりだった。呪いなら水面に虹色の膜など浮かばない。翼の先には、沈没船の裂けた帆布まで絡んでいる。
昨夜沈んだ貨物船から流れた油だ。洗い場で何度も見た匂いだった。
黒翼王は呪われているのではない。翼の羽軸まで油が入り、開けなくなっている。
「たかが洗濯女が神獣を語るな」
「なら、火を近づけてみてください。港ごと燃えます」
司令官の顔色が変わった隙に、イーラは桶を引きずって進んだ。
神獣の鉤爪が石を削る。黄色い目が彼女を捉えた。
「海水じゃ落ちない。灰汁を薄めて、ぬるま湯で洗うよ」
返事はない。
けれど黒翼王は、広げられない片翼をわずかに差し出した。
イーラは布に灰汁を含ませ、羽を一本ずつ挟んだ。擦らず、根元から先へ油を押し出す。黒い汚れの下から、夜明け前の空のような青い光沢が現れた。
何十枚目かの羽を終える頃、松明を持つ兵たちは腕を下ろしていた。
黒翼王はときおり鉤爪を握り込んだが、イーラの桶を蹴ることはなかった。汚れた布が黒くなるたび、嘴で新しい布を彼女の手元へ押してくる。いつしか二人だけの洗い場になっていた。
最後に真水をかけると、黒翼王は立ち上がった。大翼が一度開き、港中の旗が鳴る。人々は地面へ伏せた。
飛び去ると思った。
だが神獣は翼を畳み、イーラの前へ獅子の脚を折った。
巨大な嘴が、そっと彼女の膝に乗る。
硬いはずの冠羽は乾くにつれてふくらみ、指の間を滑った。黒翼王の喉から、猫のような低い音が響く。
膝に残った重さは桶二杯分もあったのに、乾いた羽の内側は、日向に干したシーツと同じ匂いと温度がした。