四月の印鑑
斑鳩建材の若手購買担当、百々瀬朔平は、決算会議の入口で止められた。
「原本を渡せば帰っていい」
総務部長はそう言ったが、朔平は封筒を胸に抱えたまま、監査役の隣まで歩いた。
議題は、大型物流倉庫向け外壁材の売上九億円。三月三十一日付の検収書があり、顧客の角印も押されている。売上を認めれば会社は黒字、外せば二期連続赤字だった。
旧印がなくなった朝、顧客の購買課は電話口で青ざめていた。朔平は取引停止を避けるため、印鑑変更通知の書式を届け、警察への届出番号まで確認した。だから新しい印の最初の一押しが、四月三日の発注書だったことも覚えていた。
「検収書に問題が?」
議長が尋ねた。
「この印鑑は、三月三十一日には存在していません」
笑った役員が二人いた。
朔平は封筒から、顧客企業の印鑑変更通知を出した。旧角印は三月二十九日に紛失。新印は四月三日に使用開始。通知の受領印を押したのは朔平自身である。
スクリーンの検収書には、新しい角印の特徴である、右上の欠けた枠線がはっきり写っていた。
「検査自体は三月中に済んでいた。押印が後でも実態は変わらない」
営業本部長が言う。
「契約では、検収書への押印をもって引渡し完了です」
朔平は契約書の第七条を開いた。
「それに、現場への最終便は四月二日でした。僕が配車しました」
朔平は配車表も示した。三月三十一日の欄には〈強風のため中止〉とあり、運送会社の担当者印が押されている。翌日の朝まで、外壁材の三分の一は斑鳩建材の構内に積まれたままだった。
社長は椅子にもたれ、指で机を二度叩いた。
「若いの。会社が赤字になれば、おまえの賞与も消えるぞ」
「はい」
「それでも、日付を問題にするのか」
朔平は新印の登録通知と検収書を並べた。欠けた枠線が、同じ位置にある。
「三月の売上に、四月の印鑑は押せません」
監査役が決算承認書を引き寄せた。社長印の欄には、すでに朱肉の丸い跡が薄く移っている。
だが監査役はその上へ白紙を重ねた。
「押す前でよかった。九億円の計上を止める」