ナポリタンの白いシャツ
昼休み、悠生は取引先へ向かう途中で喫茶店に入った。革張りの椅子、低い天井、壁際の週刊誌。どこか父の書斎に似ている。
頼んだナポリタンは、鉄板の上で音を立ててきた。赤いソースに玉ねぎ、ピーマン、薄いソーセージ。中央には生卵が落とされ、縁から白く固まり始めている。
悠生は白いシャツを見下ろした。午後一番に、初めて自分が主担当となる商談がある。染みをつけるわけにはいかない。
フォークへ少量ずつ巻き、顔を近づける。慎重に食べるほど、麺は妙な方向へ跳ねた。三口目で、赤い点が胸元についた。
「やっぱりな」
声に出すと、隣の席の女性が小さく笑った。絵具のついた作業着姿で、口元にもケチャップがついている。
「ナポリタンの日に白を着たほうが悪いですよ」
「今日がナポリタンの日だとは知らなくて」
女性は紙ナプキンを一枚取り、水差しの水を含ませた。
「擦らず、裏から叩く」
教わった通りにすると、染みは薄い桃色になった。完全には消えない。けれど、先ほどまでの絶望的な赤ではなかった。
「絵も同じです。失敗を消そうとすると紙が傷む。残った色を次に使う」
女性はそう言って、粉チーズを山ほどかけた。
悠生も真似をした。チーズの匂いが湯気に混ざり、卵を崩すとソースの赤がやわらいだ。慎重さをやめて食べれば、さっきよりずっとおいしい。
会計を済ませる頃、胸の点はほとんど乾いていた。店主が「新聞で隠して歩くかい」とからかったが、悠生は首を振った。
午後の商談で、先方の部長は開口一番、薄い染みを見つけた。
「いい昼飯だったみたいだね」
悠生はシャツを隠さず、「はい。とても」と答えた。息を吐くと、まだ少し、炒めた玉ねぎの甘い匂いがした。
帰社してシャツを脱ぐと、桃色の点はやはり残っていた。悠生はクリーニングへ出す前に、その箇所をスマートフォンで一枚撮った。失敗の記録ではない。今日の商談で初めて笑えたきっかけの記録だ。写真には写らない昼の味を思い出し、もう一度腹が鳴った。