フェリーの白い鍵
卒業旅行で島へ渡る夜、篠崎和紗、清原晃生、有川汐音は、二等船室ではなく三人用の小さな個室を取った。白いプラスチックの鍵には「307」と青く印字されていた。
波で壁が軋むたび、テーブルの缶チューハイが少しずつ動いた。三本は何度離しても、傾いた船室の中央でぶつかった。
「島の学校、受かった」と晃生が言った。
和紗は缶を押さえた。「教師になるの、地元じゃなかったの?」
「この船の行き先。四月から、向こうに住む」
汐音が笑った。「卒業旅行じゃなくて下見だったんだ」
晃生は否定しなかった。
和紗は窓のない壁を見た。「私は実家に戻る。母の店を手伝う。東京の出版社は辞退した」
「和紗まで戻るのか」と晃生。
「戻るんじゃない。選び直すの」
汐音は二人の間で膝を抱えた。「私、劇団に入る。給料なし。昼は倉庫で働く」
晃生が呆れたように息を吐く。「それ、仕事って言える?」
「晃生の島暮らしも、和紗の店番も、私から見たら同じ。誰かに説明すると急に弱くなる選択」
和紗が「三人とも、親には反対されるね」と言った。
「三人とも、互いにも反対してる」と汐音。
それで初めて笑った。大学二年の夏、三人で住む部屋の間取りまで描いたことがある。窓は三つ、机も三つ、玄関には海で拾った石を置く予定だった。その紙は汐音の台本ノートに今も挟まっている。しかし今夜の船室にはベッドが二つしかなく、晃生だけ床のマットに寝た。
明け方、窓のない船室にも汽笛が響き、島の灯が見えたという放送が流れた。晃生はデッキへ出ると言って鍵を持ったまま部屋を出た。
接岸後、和紗と汐音が荷物をまとめても、彼は戻らなかった。船員に尋ねると、晃生は島でそのまま降りたという。
「鍵、返してない」
汐音が受付を見ると、307の札だけ空いていた。
和紗はテーブルの下から晃生の白いスニーカー一足を見つけた。仕事用の靴へ履き替えたのか、忘れたのか分からない。
二人が船を降りると、島へ渡る客の列の中に晃生はいなかった。白い鍵だけが、彼の新しい住所のように海の向こうへ消えていた。