ホームでは走らない

「ホームでは走らないでください」

蓬田日南は、駅員らしい口調で折笠颯士を何度も注意した。颯士は終電間際になると決まって階段を駆け上がる。日南が働く駅を使う理由は、職場への最短経路だから。それだけだと、彼はいつも言った。

高校の同級生だった二人は、十年ぶりにこの駅で再会した。颯士は週に二、三度、日南のいる窓口へ顔を出し、缶ココアを置いていく。けれど勤務中の駅員と利用客。冗談を言えても、その先へは進めなかった。

日南が別の駅へ異動する前夜、最後の勤務が終わった。制服を脱ぎ、私服で改札を出ると、颯士が柱のそばで待っていた。

「終電、あと四分」

「知ってる」

「今日は走らないでね」

颯士はうなずいたのに、ホームへ向かわない。代わりに日南へ小さな紙袋を渡した。中には缶ココアではなく、二人分の映画券。上映日は次の日曜だった。

「新しい駅、遠いんだろ」

「電車で四十分」

「なら、会う理由がなくなる」

その言い方に、日南は胸を守るように笑った。

「利用客じゃなくなるだけでしょ」

「利用客をやめに来た」

発車案内が終電の到着を告げる。颯士は改札へ向かいかけ、日南が初めて「颯士」と呼ぶと、振り返った。そして本当に走った。電車へではなく、日南のところへ。

彼は息を切らし、日南の手を取った。終電のドアが開き、人が乗り込む。颯士は乗らず、映画券の一枚を日南の掌へ押し込んだ。

「日曜、迎えに行く。駅員さんじゃない日南に会いたい」

日南は券を受け取り、もう片方の手で彼の指を絡めた。電車が出ても離さない。

改札外のベンチでタクシーを待つあいだ、颯士は異動先の駅名を何度も確認した。日南が勤務する時間ではなく、休みの日を聞くためだった。日南も日曜の映画券を予定表へ登録し、場所の欄に《颯士と待ち合わせ》と書いた。

颯士はその文字を見て、ようやく利用客ではない顔で笑った。

「ホームでは走らないでください」

その決まりを破った一度だけが、彼を終電ではなく、日南の隣へ間に合わせた。