マイナス一万時間の家族口座

 海上都市では、高額医療費を公共労働時間で返済できる。

 十八歳の住民登録をした日、私は家族口座の残高を初めて見た。

〈債務 一万二千四百時間〉

 十二年前、私が重い感染症にかかったときの治療費だった。両親は港の清掃や夜間警備を続け、半分以上を返していた。

「どうして隠したの」

「子どもに治療費を背負わせたくなかった」

「私のための借金でしょう」

「あなたを返済要員にするために助けたんじゃない」

 私は進学をやめ、労働時間を引き受けると言った。母は怒り、父は端末を閉じた。

「勝手に決めないで」

「二人だって勝手に隠した」

 その言葉で、三人とも黙った。

 翌日、都市の相談窓口へ行った。

 制度上、成人した子どもへ債務が自動移転することはない。ただし本人が望めば、一部を共同口座へ移せる。

「全部移して」

「だめ」

 両親が同時に言った。

「じゃあ二千時間」

「多い」

「千時間」

 話し合いは、魚市場の競りのようになった。

 最終的に、私は週四時間だけ引き受けることになった。進学は予定どおり続ける。両親も健康を損なう夜勤は減らす。毎月、三人で残高を見る。

 最初の共同作業は、暴風後の遊歩道清掃だった。

 父は私より先にへばり、母は規定より多く休憩を取った。

「こんな二人で一万時間返す気だったの?」

「昔は若かった」

「隠し事をすると老けるのが早いんじゃない」

 笑いながら漂着物を運んだ。

 一年後、残高はまだ一万時間近くあった。

 数字だけ見れば、ほとんど減っていない。

 けれど父は腰の痛みを隠さなくなり、母は追加勤務を断れるようになった。私は学業が忙しい月には、自分の四時間を翌月へ繰り越した。

 家族口座の備考欄へ、三人で一文を書いた。

〈この債務は愛情の証明ではない。治療に必要だった費用であり、返済方法は全員の生活を壊さないよう毎年見直す〉

 私を助けた借金だからといって、私が人生全部で返す必要はない。

 両親が作った借金だからといって、二人だけで沈む必要もない。

 マイナスの数字は残ったまま、家族はようやく、同じ画面を見て進めるようになった。