レシピ帳の最後の一枚

片見真幌は、父と二人で母のレシピ帳を開いた。

夕食の鍋には、市販のだしで作った煮物がある。父は一口食べ、「お母さんの味とは違うな」と言った。

レシピ帳には、煮物、卵焼き、味噌汁の分量が並ぶ。余白には母の字で、〈真幌は薄味だと食べない〉〈嫁に行く前に覚えさせる〉と書かれていた。亡くなって半年、父は毎週のように「この帳面を持って帰れ」と言う。

母の葬儀後、父は一度だけ自分で卵焼きを作り、焦がした。真幌が笑うと、父は「お母さんなら失敗しなかった」と鍋ごと流しへ置いた。それから料理をする人の席は、空いたまま真幌へ向けられていた。

今夜も父は、真幌が台所に立つ前からレシピ帳をテーブルへ出していた。頼みではなく、引き継ぎの書類のようだった。

真幌は父に、市販のだしを使ったことを隠さなかった。父が顔をしかめても、母の手順へ戻って作り直すつもりはなかった。食べるかどうかを決めるのは父で、作り方を決めるのは真幌だった。

「お前が覚えれば、家の味が残る」

真幌はページをめくった。母と一緒に台所へ立った記憶より、味見のたび「まだ駄目」と鍋の前から退かされた記憶のほうが鮮明だった。

最後のページだけ、料理ではなかった。真幌が高校のときに書いた、プリンの作り方。文字は丸く、分量の横に母の赤字で〈すが入った〉とある。

「これだけ持って帰る」

真幌がページを外すと、父が顔をしかめた。

「帳面を壊すのか」

「残したいページを私が決める。ほかはお父さんが持つか、処分して」

「娘なのに、母親の味を継がないのか」

真幌は鍋から煮物を自分の皿へ取った。

「味は名字じゃないから」

父は何も言わず、煮物をもう一口食べた。やがて、「これはこれで、悪くない」と小さく言った。

許されたとは思わなかった。真幌も母を許したわけではない。ただ、同じ味を再現しなくても、父と食事を終えることはできる。

帰宅後、外した一枚を透明なファイルへ入れた。赤字は消さない。その下に青いペンで〈次は百五十度で焼く〉と書き足した。レシピの最後は、母の採点ではなく、真幌の次の試みになった。