一匙で立つ赤いソース

 竜騎士団の祝勝会まで一時間。厨房では、赤葡萄の肉ソースが水のように皿を流れていた。

 団員たちは半年の遠征から戻り、料理長は『肉が見えないほど濃いソース』を約束していた。ところが葡萄の収穫が悪く、煮詰め直す材料もない。陸は昨日、ソースを薄めた犯人だと濡れ衣を着せられ、祝勝会の後に解雇される予定だった。

「煮詰めろ!」

 料理長ドナートは叫んだが、大鍋はすでに半分まで減っている。これ以上煮れば百人分が足りない。異世界転移者の江波戸陸は、下働きとして薪を割っていた。

「粉を入れる気か? 貧民の粥じゃないぞ」

 陸が小麦粉へ手を伸ばすと、料理長は鼻で笑った。

 陸は粉を鍋へ直接入れなかった。小鍋で獣脂を溶かし、同量の小麦粉を混ぜ、弱火で練る。白い塊が薄い狐色になり、香ばしい匂いを出したところで、赤いソースを少しずつ加えた。

 使う知識は一つ。脂と粉を先に炒めて作るルーなら、だまにならず、少量で液体に濃度をつけられる。

 小鍋の中で、匙の跡が一瞬だけ残った。陸はそれを大鍋へ戻し、混ぜる。粉を直接投げ込んだ試作品には白いだまが浮いていたが、陸の鍋には一つもない。脂で包まれた粉が、赤い液へ均一にほどけていく。

 大鍋を一周混ぜるごとに、表面の波がゆっくりになる。誰かが水を足したのではないかと疑っていた下働きたちが、目盛りを見て息をのんだ。量は一滴も減っていなかった。

 先ほどまで皿の縁へ逃げていたソースが、焼いた竜牛肉の上に艶をまとって留まった。料理長が皿を傾けても流れ落ちない。

 団長グラウスが予定より早く厨房へ入り、指で一筋すくった。冷えた皿にもソースは薄く広がらず、肉の上で艶を保っている。団長は陸の解雇札が調理台に置かれているのを見つけ、それと料理長の顔を交互に見た。

「濃いのに、量が減っていない」

 肉を切る。赤いソースが断面へ絡み、葡萄の酸味と焼けた粉の香りが広がった。

 ドナートは大鍋の目盛りを見る。百人分どころか、予備まで残っていた。

「何分かかった」

「七分です」

 陸は講義をせず、次の小鍋で同じ色のルーを作り始める。宴の鐘が鳴るまで、あと五十分。

 団長は祝勝会の献立札を取り上げ、一番下の署名欄へ自分の印を押した。

『赤葡萄ソース――追加二百皿。調理責任者、江波戸陸』