一本足りない影
地下水路の修理班は、出発のたびに工具を探した。
「銀の鑿は誰が持った」「締め輪は昨日どこへ置いた」
班長が怒鳴り、十五人が箱をひっくり返す。集合から出発まで平均三十八分。王都の浸水は、その間にも一段ずつ上がっていた。
元整備士の玲は、壁へ一枚の板を掛けた。鑿、槌、鋏、締め輪を定位置に吊り、それぞれの形を白く塗った。道具を取れば、壁に同じ形の影が残る。
「子供の絵遊びか」
職人頭は笑った。
翌朝、鐘と同時に出発準備が始まった。全員が必要な道具を取り、空いた影を見ながら返却分を確認する。三分で革箱が閉じた。
「銀の鑿が一本ない」
玲が言った。
誰も数えていない。それでも壁の細い白影が一本だけ露出していた。昨日の担当が青ざめ、作業服のまま水路へ走る。鑿は第三門の歯車脇に置き忘れてあった。もし門を動かしていれば、刃が噛み込み、排水門そのものが壊れていた。
回収して出発した時刻は、いつもより二十九分早い。
第三門では、亀裂から泥水が噴いていた。修理班は迷わず工具を手に取り、締め輪を固定する。水位は市場の石段まであと一段というところで止まった。
作業中も白い影の考え方は生きた。革箱の内蓋にも道具の形が描かれており、暗い水路で手探りしても戻す場所を間違えない。交換用の留め具が一つ減れば、その形だけが露出する。班長は補給が必要だと、箱を数え直さずに分かった。
帰路、玲は全員へ工具を戻させ、板を一度だけ見た。空いた影はゼロ。以前は帰還後の棚卸しに一刻、翌朝の捜索にさらに半刻かかっていた。今日は五分で解散でき、夜番の職人まで眠りにつけた。
帰還後、職人頭は道具を箱へ放り込もうとして、玲の視線に気づいた。無言で壁の白影へ戻す。すべての影が消えた。
治水局長は、出発記録の数字を二度見した。
「準備三分、置き忘れ事前発見一件。これを全修理班に置く」
玲へ真鍮の鍵を差し出す。
「工具管理責任者の部屋だ。明日から君が、王都の職人にこの壁を使わせろ」