一粒だけの返事

手作りのチョコを渡したあとで、断られる瞬間まで想像していなかった。

放課後の昇降口。部活へ向かう声が遠ざかり、濡れた傘の匂いだけが残っていた。

彼は包みを両手で持ったまま、すぐには開けなかった。

「ありがとう」

それから、ゆっくり続けた。

「でも、好きな人がいる」

用意していた言葉は全部消えた。笑って「知ってる」と言うつもりだった。友達のままでいいとも、気にしないでとも。

実際に出たのは、情けない声だった。

「そっか」

彼は嘘をつかなかった。期待を持たせる言い方もしなかった。それが彼らしくて、余計につらかった。

「返したほうがいい?」

箱を差し出され、胸の奥が熱くなった。

昨夜、三度も作り直した。焦がした鍋を洗い、眠い目で一つずつ丸めた。返されれば、全部がなかったことになる気がした。

「一粒だけ食べて」

自分でも驚くほど、はっきり言えた。

彼は少し迷い、箱を開けた。形の揃わない丸いチョコが六つ。いちばん小さい一粒を選び、口へ入れた。

「苦い」

「失敗したから」

「違う。ちゃんと苦いチョコ使ったんだなって」

「甘いの嫌いでしょ」

覚えていたことまで言ってしまい、涙が出そうになった。

彼はもう一粒取ろうとしたが、手を止めた。

「一粒だけって言ったから」

律儀すぎて、少し笑った。笑うと涙が一滴だけ落ちた。

彼は見ないふりをして、箱を閉じた。

「残り、持って帰っていい?」

「好きな人がいるのに?」

「気持ちは受け取れない。でも、作ったものまで否定したくない」

それが優しさなのか残酷さなのか、そのときは分からなかった。けれど私は箱を渡した。

彼は上履きを脱ぎ、靴へ履き替えた。片方の紐がほどけていた。いつもならしゃがんで結ぶのを待つのに、その日は先に歩いた。

校門を出る前、背後から呼ばれた。

「来年は、好きな人じゃなくてもチョコくれる?」

振り返ると、彼は困った顔で立っていた。

「それは来年考える」

そう答えた。

一年後、私は別の人を好きになっていた。彼とは同じ委員会で、前より普通に話せるようになっていた。

二月十四日、彼の下駄箱には市販の小さなチョコを入れた。箱には『友達用。甘いやつ』と書いた。

昼休み、彼が笑って言った。

「今年は苦くない」

私も笑えた。

一粒だけ食べてもらったあの日から、ちゃんと次の春へ進んでいた。