一駅ぶんの歩幅
羽咋澄夏が校門を出たところで、後ろから自転車のベルが鳴った。
振り返ると、同じクラスの男子が自転車を押している。チェーンが外れ、後輪の横で黒く垂れていた。
「乗らないの?」
「見ればわかる」
「直せば」
「手が汚れる」
「もう汚れてる」
彼の指先は真っ黒だった。
澄夏は駅まで歩く。彼は自転車通学で、いつもなら校門を出た瞬間に追い越していく。会話は朝の挨拶くらいだった。
その日は、自転車を挟んで並んだ。
歩道は二人で歩くには狭く、車が来るたび彼が自転車を外側へ寄せる。ペダルが回るたび、外れたチェーンが小さく鳴った。
「部活、行かなくていいの」
「今日は休み」
「羽咋って部活何だっけ」
「入ってない」
「毎日早く帰るから、何か急いでるのかと思ってた」
「急いでない。電車一本逃すと、次が二十分後」
「今日は?」
「たぶん逃す」
彼は腕時計を見た。
「走れば間に合う」
「自転車置いて?」
「俺が押して走る」
「何の罰ゲーム」
「じゃあ、ゆっくり行く?」
澄夏は答えず、歩幅を少し小さくした。
駅へ続く道の途中に、古い踏切がある。警報機が鳴り、二人は遮断機の前で止まった。
いつも乗る電車が、目の前を通り過ぎた。
窓の中に同じ制服が並び、こちらへ気づかず流れていく。
「あれ?」
「うん」
「本当に逃した」
「そっちのせい」
「俺、走る提案した」
「自転車壊したのはそっち」
「朝は動いたんだよ」
遮断機が上がっても、二人は急がなかった。
駅前で、彼は駐輪場へ自転車を入れた。次の電車まで十三分ある。
「手、洗ってくる」
「改札の中にしかないよ」
「じゃあこのまま」
「切符、黒くなる」
澄夏は鞄からウェットティッシュを出した。彼は一枚で足りず、三枚使った。
白い紙が灰色になる。
「明日、直ってたらまた追い越すから」
「別に」
「ベル鳴らす」
「鳴らさなくていい」
「じゃあ、降りて歩く?」
「毎日は電車逃す」
発車案内が点滅した。
ホームへ上がると、夕方の風が線路を抜けた。二人は同じ車両に乗ったが、席は別々に座った。
たった一駅ぶん、歩いただけだった。
それでも翌日、校門でベルが鳴ったとき、澄夏は振り返る前から、自転車が直っていないことを少しだけ願っていた。