三つ星評論家の予約メモ

「味の分からない妻は厨房から出ていけ」

周年営業の満席の店で、料理長の朔也は苑子の焼いた菓子を床へ落とした。砂糖細工の鳥が砕け、客席から息を呑む音がする。朔也はスタッフへ片づけを命じ、妻には一切触らせないよう念を押した。隣には覆面評論家として有名な伽耶が座っている。

「伽耶先生は俺の才能を理解してくれる。おまえが浮気だと騒げば、店の評判を落とした営業妨害として追い出す」

伽耶はワインを揺らしながら笑った。

「私たちは純粋に料理で結ばれた関係よ。奥様には分からないでしょうけど」

苑子は割れた皿を拾い、予約端末を卓上へ置いた。昨夜、端末が「同一評論家への過剰接待」を自動警告するまで、彼女は顧客履歴を開いたことさえなかった。この店では特別な客の好みを忘れないよう、料理長が予約ごとにメモを残す。朔也はスタッフを信用せず、自分だけが編集できる設定にしていた。

「先生の好みを確認してもよろしいですか」

朔也は何も疑わず、得意げに顧客履歴を開いた。

最初のメモは《魚介アレルギー》。次は《赤い花を一輪》。三つ目には、料理とは関係のない文章があった。

《閉店後、二階の私室へ。苑子には試作会と説明。鍵はいつもの植木鉢》

日付は半年前。以後、同じ文面が週に二度ずつ続く。最後の予約には《離婚成立前だが、次の妻として雑誌に載せる》とまで記されていた。

朔也が端末を奪い、削除ボタンを連打する。しかし店の予約履歴は税務証憑を兼ねるため、編集前の文章へ灰色の透かしが残る。その仕組みを導入したのも、売上を抜く従業員を捕まえるための朔也だった。

さらに伽耶の会員番号には、評論対象との私的関係を禁じる倫理誓約書が紐づいていた。彼女自身の電子署名付きだ。

苑子は立ち上がり、厨房の鍵を腰から外した。

「この店の建物も営業権も、亡き父から相続した私のものです。あなたに渡したのは料理長の職だけ」

入口で待っていた出版社の編集長が、伽耶の署名済み誓約書を掲げた。続いて苑子が雇用契約書を開く。

「評論家・伽耶および料理長・朔也に対する、本日付の契約解除通知を読み上げます」