三円の配送
物流スタートアップ「ハコベルナ」への出資会議で、蓮見原咲良は外部会計事務所の新人だった。会社は一配送当たり三円の黒字化を達成し、百億円の企業価値を主張している。
創業者が示した表では、平均売上四百八十二円、変動費四百七十九円。差額三円。赤字企業が初めて越えた重要な線だった。
咲良は元データを開き、数式バーを確認した。変動費セルには「=439+40」とある。四百七十九円で正しい。だがその下に非表示行があり、「委託員燃料補填 三十七円」と記されていた。合計式の範囲は、その一行だけを避けている。
燃料補填を含めれば、一配送三十四円の赤字だった。
最高財務責任者は、燃料費は期間限定の販促費で、変動費ではないと説明した。
咲良は配達員との基本契約を出した。「燃料補填は全配送について距離連動で支払う」。期間限定ではない。さらに投資資料の脚注には「全ての配送関連支出を含む」と社長の確認印があった。
財務責任者は画面を切り替えようとしたが、咲良はセルの表示形式も示した。非表示行の文字色は白、行高は〇・一。削除ではなく、見えないよう意図的に残されていた。編集者は創業者本人、更新時刻は委員会前夜二時十四分。
会計事務所の所長は、分類判断の違いで案件を壊すなと咲良を制した。だが投資家側の役員は三円の根拠を再度尋ねた。
咲良は電卓を置いた。
「三円の黒字ではありません。三十七円を見えなくした赤字です」
創業者は、資金が入れば規模で改善すると言った。
投資家側の物流担当が、規模が増えれば燃料補填単価は下がるのではないかと尋ねた。咲良は過去六か月の実績を示した。配送距離の長距離化で補填は三十一円から三十七円へ増えている。白い行を消しても、配達員へ払う現金までは消えなかった。
配達員三人の支払明細にも、毎週の燃料補填が通常費用として記載されていた。
投資家代表は契約書の評価額欄へ二重線を引いた。たった一行の燃料費が、百億円の企業価値を配送途中で止めた。