三分遅れの終電
鉄道会社のお客さま対応室で、椎葉灯のストップウォッチはいつも三分遅れている。
深緑の制服に、サイズの合わない古い駅長帽。苦情電話が鳴るたび、銀色の時計を押してから受話器を取る。
「遅れは時刻じゃなく距離で測る」
宇佐見真帆が持ち込んだのは、終電を逃した乗客からの苦情だった。真帆が案内した乗換時間は七分。規定上は間に合うはずだったが、乗客はベビーカーを押し、エレベーター経由で移動していた。
『あなたのせいで帰れなかった』
その言葉が耳から離れない。真帆は個人でタクシー代を送ろうとして、灯に止められた。
「謝るなとは言っていません。会社を通すと時間がかかります」
「君一人の善意で塞ぐと、次の人も落ちる穴になる」
灯はストップウォッチを持ち、真帆と駅へ向かった。通常ルートは六分四十秒。エレベーターを二基使うルートは、十一分十二秒。しかも工事用の案内板が、最後の曲がり角を隠していた。
灯は写真を撮り、帽子のつばへ一枚ずつ挟んだ。
「案内した私は間違っていました」
「君の言葉は規定どおりだ。規定の足が速すぎた」
報告書には、真帆の個人ミスではなく、乗換基準と表示の不備を書いた。タクシー代の補償と、エレベータールート別の時刻表示も申請した。
乗客へ電話した真帆が謝ると、相手はしばらく黙り、『次の人が困らないなら』と言った。泣き声の向こうで、子どもが電車の音をまねていた。
対応を終え、灯はストップウォッチの裏蓋を開いた。壊れていると思っていた針を、正しい位置へ戻す。
「三分遅れじゃなかったんですか」
「電話に出る前、三分だけ担当者を急かさない時計だ」
彼は時計を真帆の机へ置いた。
「次から君が押せ。すぐ謝らず、誰の距離が抜けているか測る」
終電後のホームに、変更された案内が貼られた。所要時間は二種類。その下に真帆が加えた一文がある。
――急がなくてよい経路も、ご案内します。
銀色の時計は、今度こそ正しい時刻で、その言葉を見守っていた。