三度、短く

 岬の灯台で育った小夜子にとって、父の朔平は、光とよく似ていた。

 遠くまで届くくせに、足元のことは何も話さない。

 十八歳の春、小夜子が航海士になると告げたときも、父はレンズを磨きながら言った。

「海へ出るなら、この家のことは忘れろ」

 祝ってほしかった。せめて心配してほしかった。

 小夜子は「分かった」と答え、そのまま十二年、灯台へ帰らなかった。

 貨物船の航海士になってからも、年に何度か岬の沖を通った。夜の灯台は、十五秒ごとに白く海を掃いた。

 そのたび、塔の下にある宿直室の窓が、三度、短く明滅した。

 幼いころ、嵐で停電した夜に父と決めた合図だった。懐中電灯を三回振れば、「ここにいる」。二回なら「分かった」。一回なら「おやすみ」。

 けれど小夜子は、偶然だと思うことにした。父から手紙も電話もなかったからだ。

 やがて灯台の無人化が決まり、最後の有人点灯の日が来た。小夜子は船長に頼み、航路を少しだけ岬へ寄せてもらった。

 午前零時、灯台の大きな光が消えた。海は急に広くなった。

 暗闇の中、宿直室の窓だけが灯った。

 一度。二度。三度。

 短く。

 小夜子は船橋の信号灯を取り、二度返した。十二年ぶんの「分かった」を込めたつもりだったが、涙で二度目が長くなった。

 翌朝、入港した埠頭に朔平が立っていた。小さな鞄と、分厚い航海記録を抱えている。

 ページをめくると、灯台を通過した船の名に交じって、小夜子の乗った船だけが赤線で囲まれていた。

〈五月十四日 二十三時四十分。東航。波高二メートル。小夜子、無事〉

〈十一月二日 零時十二分。西航。窓の灯、三回。返事なし〉

〈三月七日 濃霧。汽笛を確認。たぶん元気〉

 十二年分、同じ記録が続いていた。

「忘れろって、私のことじゃなかったの」

 朔平は海を見たまま答えた。

「俺や、この家を気にして、行きたい海を諦めるなという意味だった」

「主語を省きすぎ」

「そうか」

「そうだよ」

 父は、叱られた子どものようにうなずいた。

 小夜子は鞄を取り上げ、船のタラップを指した。

「灯台は無人になるんでしょ。次は父さんが海へ出る番」

「この家はどうする」

「忘れていいよ」

 朔平が初めて、声を立てて笑った。

 出港すると、岬は少しずつ遠ざかった。もう窓の合図は見えない。

 それでも小夜子には分かっていた。

 光が消えたからこそ、ようやく二人は、同じ船に乗れたのだ。