三枚目の舌
判決文が読み上げられるあいだ、ケシュアは口の中で悪魔の歯を転がしていた。
彼女と書記ミゼンは、将軍毒殺の罪で夜明けに吊られる。証拠は毒瓶、偽造された帳簿、そして裁判官ラドラスの証言。傍聴席には、真犯人が勝ちを確信した顔で座っている。
舌の裏に棲む悪魔は、真実を一つ「目に見える事実」に変えられる。その代わり、真実を言うたび、ケシュアの舌は縦に裂ける。一度目なら二枚、二度目なら三枚。三枚を越えれば、人の言葉は形を保てない。
「最期に述べることは」
ラドラスが尋ねた。
ケシュアは悪魔の歯を噛んだ。
「毒瓶には、私の指紋がない」
舌が中央から裂け、熱い血が顎を伝う。同時に毒瓶の表面へ白い粉が浮き、触れた指の跡が光った。そこにあるのはラドラスの拇印だけだった。
法廷がざわめく。
「押収後に確認したのだ」と裁判官は叫ぶ。
ケシュアは二枚の舌を揃え、二つ目を言った。
「帳簿を書いた手は、今もインクを隠している」
二枚のうち一枚がさらに裂けた。口の中で三枚の舌が別々に震える。ラドラスの手袋が勝手にほどけ、爪の間から偽造帳簿と同じ紫のインクが滲み出た。
衛兵が一歩近づく。それでもラドラスは笑った。
「細工だ。悪魔憑きの言葉など証拠にならぬ。吊せ」
ミゼンが鎖を鳴らした。
「もう十分だ、ケシュア。これ以上は戻れない」
だが真実は一つ残っていた。毒を飲ませた者ではなく、飲む杯を入れ替えた者。言えばミゼンは助かる。言わなければ二人とも死ぬ。
ケシュアは三枚の舌で、最後の形ある言葉を作った。
「将軍の杯を替えたのは、裁判官ラドラスだ」
舌が根元まで裂けた。
法廷の中央へ、あの日の卓が幻ではなく実物として現れた。ラドラスの手が杯を入れ替える瞬間が、何度も繰り返される。傍聴人が悲鳴を上げ、衛兵は裁判官を取り押さえた。ミゼンの鎖が外される。
「無罪だ」と誰かが叫んだ。
ケシュアは礼を言おうとした。だが口から出たのは、三方向へ割れた湿った音だった。三枚の舌はそれぞれ別の癖で動き、同じ言葉を作れない。
ミゼンが泣きながら彼女の名を呼ぶ。
ケシュアも自分の名を返したかった。
一枚目は「ケ」と鳴き、二枚目は「シュ」を噛み、三枚目は「あ」と呻いた。三つの音は二度と一人の名に戻らなかった。
勝訴の記録には、証言者の欄だけが空白になった。人の言葉を失った者を、法は人として記せなかったからだ。