二着目の制服

同窓会の展示箱に、紺色のネクタイが一本だけ残っていた。

「卒業式の忘れ物」と札がついている。凪紗はガラス越しに結び目を見て、胸の奥が熱くなった。あれは忘れ物ではない。十年前、奏人から借りたまま返せなかったネクタイだ。

卒業式の朝、凪紗は女子用の制服を着て昇降口まで来たものの、足が動かなくなった。スカートも、白い襟も、写真に残る自分も、全部が借り物のように思えた。

保健室へ逃げた凪紗に、奏人は予備のスラックスとネクタイを持ってきた。理由を聞かず、「二着目だから」とだけ言った。サイズの合わない制服で式に出た凪紗は、初めて自分の身体を責めずに一日を終えた。

卒業後、奏人とは連絡が切れた。数年して同級生の投稿で、彼が新しい名前で暮らしていると知った。驚きより先に、あの日の「二着目」の意味が胸へ戻った。彼もまた、誰かに決められた一着の中で息をしていたのだ。

展示箱の前へ、灰色のスーツを着た奏人が来た。凪紗は何度も考えていた言葉を忘れ、結局「返すの遅くなった」と言った。

奏人は笑い、職員に頼んで箱を開けてもらった。古いネクタイは少し色あせていた。

「もう要らない?」

「要る日もある。でも、選べるようになった」

凪紗は広告代理店の面接を翌日に控えていた。母から送られた淡いスカートのスーツが、ホテルの部屋に掛かっている。無難だからと買ったものだ。着るたび、卒業式の朝と同じ息苦しさがした。

奏人はネクタイを凪紗の手へ置いた。「じゃあ今度は借り物じゃなく、貸し借りなしで使えば」

会場の鏡の前で、凪紗は白いシャツの襟にネクタイを結んだ。奏人が直そうとした手を止め、自分で結び直す。少し曲がったが、そのままにした。

帰宅後、スカートのスーツを箱へ戻し、手持ちの黒いパンツを出した。明日のために選んだのは、過去の制服ではない。

鏡の中で、肩の力だけが十年前より少し下がっていた。

けれど結び目の奥には、あの日もらった呼吸が、今も確かに残っていた。