五〇二号室の退去確認

管理会社が来るまで十分。古賀篤史は空になった五〇二号室で、床に残った四角い日焼け跡を見ていた。そこには白石瑞穂が選んだ小さな食卓があった。

「カーテン、外したよ」

脚立から降りた瑞穂が、畳んだ布と合鍵を床へ置いた。二年間、彼女はほとんど毎晩ここへ帰ってきた。会社の独身寮だから住所だけは別のまま。それでも冷蔵庫の中身も、洗剤も、休日も二人分だった。壁には、瑞穂の背丈に合わせて低く取りつけたフックの穴が二つ残っている。退去費用を恐れた篤史が埋めようとすると、彼女は『暮らした跡まで隠さなくていい』と止めた。

来週、篤史は大阪支社へ転勤する。

「新しい部屋、単身用なんだって?」

「会社がそう決めた」

「申請書に単身って書いたのは篤史でしょ」

「結婚してないんだから、ほかに書きようがない」

瑞穂はカーテンを段ボールへ入れなかった。

一か月前、篤史は「大阪へ来る気があるなら、会社に相談する」と言った。瑞穂は「考える」と答えた。その後、東京で別の部屋を契約したと聞いた。答えはそれだと思った。

「向こうで誰か見つければ」

「そうするかもな」

言った瞬間、瑞穂の手が止まった。けれど彼女は何も返さず、鍵を床から拾って篤史へ渡した。

「食卓、処分でいい?」

「好きにして」

十時ちょうど、管理会社の担当者が来た。瑞穂は会釈だけして廊下へ出る。エレベーターの閉まる音がしたあと、担当者が書類をめくった。

「白石様は、もうお帰りですか」

「どうして名前を」

「大阪寮への同居申請について、補足書類をいただいていました。婚姻前は不可なので、昨日差し戻しましたが」

補足書類の控えには瑞穂の筆跡で、〈転職が決まり次第入籍予定〉とある。東京の部屋は、転職までの三か月だけ借りた短期契約だった。

篤史は窓へ走った。タクシーが角を曲がり、カーテンのない窓に自分だけが映った。

担当者が「鍵を二本とも返却してください」と言う。

篤史は一本を渡した。瑞穂が返したほうは、転居用の段ボールに入れた。箱の側面へ、黒いペンで〈大阪へ持っていく〉と書き足した。