仮面を屑鉄箱へ
宿屋《眠り鹿》へ担ぎ込まれた客は、銀の仮面を外せなかった。
夢喰いの魔族ミレイア。領主ドメルは彼女を使い、毎夜自分の悪夢だけを食わせていた。食べきれなければ仮面が締まり、眠れば罰が下る。領主が安眠するほど彼女は眠れず、百夜を越えたころから、立ったまま夢を見るようになっていた。
領主は宿代の代わりだと言って、所有札ごと彼女を置いていった。
「札の裏へ宿主の名を書けば、今夜からお前の夢を守る」
従業員は便利だと喜んだが、宿主ロアンは札を厨房の火へかざした。
「燃やすの?」
「君が死なないなら」
「仮面と札は同じ呪い。燃えれば、私の顔も焼けるかもしれない」
ロアンは火から離した。代わりに、仮面の縁を布で拭き始める。長年の脂と煤の下から、小さな文字が現れた。
――所有者が眠り、対象が自ら名を告げたとき、契約は更新される。
「更新しなければ?」
「朝に罰が来る」
「なら、所有者を起こしたままにすればいい」
ロアンは領主の所有札を、宿の目覚まし鐘の紐へ結んだ。夜じゅう鐘が揺れ、札に封じられたドメルの夢だけが眠れずに暴れる。呪いは更新時刻を越え、自分からほどけ始めた。
夜明け前、銀の仮面が卓上へ落ちた。
ミレイアは初めて自分の顔へ触れた。自由だと分かると、窓から霧になって消える。
ロアンは追わず、仮面を屑鉄箱へ入れた。空いた客室の枕だけは整えたが、帰ってこいという札も、借りを返せという伝言も置かなかった。自由には、戻らない自由も含まれると思ったからだ。
その晩、宿は満室だった。ロアンが最後の鍵を掛けたとき、玄関の鈴が鳴る。
ミレイアが立っていた。旅装を整え、腰には夢を刈る小鎌。だが刃は鞘に収められている。
「部屋なら空いていない」
「客ではない」
彼女は宿帳を開いた。これまで名前の欄には『夢喰い一号』としか書かれていなかった。
迷いながら、ゆっくりと新しい文字を書く。
――ミレイア。夜番。
「雇われたい。嫌な夢を食べるかどうかは、その人に聞いてから決める」
「給金は安いぞ」
「命令よりは、ずっと高い」
彼女は小鎌をロアンへ差し出さず、自分で壁の武器掛けへ置いた。選んだ名の墨が乾くまで、玄関の鈴は一度も鳴らなかった。