住所のない鳩便

駅前で、釣り糸に絡まった鳩を助けた。

翼から糸を外し、コンビニの水を蓋へ注いだ。

鳩は礼もなく、濡れた歩道を歩いてから飛び去った。

七年後、姉と絶縁した夜、郵便受けの前に灰色の制服を着た配達員が立っていた。

帽子のつばから鳩の目がのぞいている。

「住所のない手紙を一通だけ届けます」

配達員は言った。

「ただし、日没までに受取人が一度でも差出人を思い出した場合だけ」

姉は母の介護を一人で背負ったと責め、妹は金を送ったのに感謝されないと怒った。

母の葬儀後、遺品を分ける席で、

「もう姉妹じゃない」

と言い合った。

妹は便箋を出した。

謝罪を書こうとすると、事情の説明ばかり長くなる。

仕事を休めなかった。

姉が「来なくていい」と言った。

毎月送金した。

配達員は首を小刻みに動かした。

「鳩は、言い訳の多い紙を運ぶと曲がります」

「じゃあ何を書けばいいの」

「助けた日、あなたは私へ事情を聞かなかった」

鳩は釣り糸に絡まった理由も、群れへ戻れるかも説明しなかった。ただ水と、飛べる時間をもらった。

妹は一行だけ書いた。

「一人にしたことを、今になって怖がっています」

封筒へ住所も名前も書かず、配達員へ渡した。

鳩の姿へ戻り、夕空へ飛ぶ。

日没まで、姉が自分を思い出す保証はない。

妹は窓辺で待ち、何度も電話をかけたくなった。

条件を満たすために思い出させれば、恩返しの意味がない気がしてやめた。

夜、何も起きなかった。

翌朝、玄関に白い封筒が落ちていた。

姉の字で、住所はない。

「昨日、母の湯飲みを割りました。あなたが昔、接着剤で直したことを思い出しました」

続けて、

「許したわけではありません。でも、一人だったことを一人で覚えるのも疲れました」

とある。

妹はすぐ会いに行かなかった。

返信を一行書き、普通の切手を貼り、姉の住所へ送った。

「今度は、運べる重さで話を聞きます」

二週間後、姉から日時と喫茶店の名が届いた。

会えばまた介護の分担や金のことで言い争った。

それでも途中で席を立たず、母の湯飲みをどう直すか一緒に考えた。

駅前では鳩を見るたび、妹は足元の糸を確かめる。

恩返しで届いたのは仲直りではない。

相手もこちらを思い出していたと知る、住所のない最初の一通だった。