保留音のあと

千尋は、通話終了の表示が消えても、ヘッドセットを外せなかった。

通信会社のコールセンターで、解約手数料を「かかりません」と案内してしまった。直後に料金表の小さな注記へ気づき、折り返したが、客はすでに家族へ説明したあとだった。

「さっきと言うことが違う」

低い声が耳に残っていた。

訂正の手続きは終わった。差額は会社側で調整することになり、記録には案内誤りと入力した。けれど千尋の中では、通話が終わっていない。

失敗した日は、品質確認システムから自分の録音を再生する。言い間違えた秒数を探し、声の調子まで責める。帰宅後も、脳内で保留音が鳴るまで繰り返す。それで次は間違えないと思っていた。実際には、眠れない翌日に別の項目を見落とした。

画面には《録音を再生しますか》と出ている。

千尋はマウスを置いたまま、案内表を一度だけ開いた。見落とした注記に黄色いマーカーを引き、チーム共有欄へ《解約月が更新月でも、機器残債は別計算》と投稿する。主語を「私」にしなかった。反省を薄めるためではなく、必要なのが千尋の傷つき方ではなく、次の案内だからだ。

再生ボタンの隣にある小さな歯車を押す。

《品質評価通知 勤務時間外は停止》

設定をオンにした。

品質担当へのメモには、通話番号と誤案内した項目だけを残した。《声が頼りなかった》《向いていない》という自分向けの評価は書かない。明日の確認面談では録音を一度聞く。それは仕事として聞く一度であって、今夜の自分を眠らせないための反復ではない。

隣の席では、別のオペレーターが「お待たせいたしました」と明るく言っている。センターは千尋の一件で止まらない。客の不快も、記録の一行も、すぐには消えない。

退勤時、ヘッドセットをいつもより丁寧に引き出しへしまった。

駅へ向かうエレベーターで、耳の奥にまた保留音がよみがえったが、千尋は再生時間を数えなかった。コンビニで温かいお茶を買い、ふたを開ける。最初の一口のあいだだけ、仕事の声を聞かないことにした。