六十秒目のサビ

鶴来市乃が管理する時刻サーバーには、午前二時五十九分のあとにだけ現れる曲があった。

通常の時計なら次は三時ちょうどだ。だが旧式の医療機器を同期させるため、この病院では毎夜、ずれを吸収する一秒を挟む。その瞬間だけ、削除済みフォルダに〈LEAP〉という音源が浮かぶ。再生時間は一分一秒。

「一秒だけ待って」

市乃の夫は、三年前、この病院のエレベーター事故で死んだ。非常通話を受けたのは当直だった市乃自身だ。制御盤には停止命令が届かず、かごは地下へ落下した。彼女は夫の「助けて」を聞きながら何もできなかったと、今も自分を責めていた。

Aメロには時計の秒針と、エレベーターの階表示音が交互に並ぶ。三階、二階、一階。サビ前で無音になり、再生画面の残り時間だけが一秒増えた。

「一秒だけ待って」

夫の声だった。市乃は机へ顔を伏せた。あの夜も、彼はそう言った気がする。救助が来るまで待つという意味だと思っていた。

サビが始まると、曲のリズムが制御信号へ変わった。上昇、停止、扉開放。事故報告書には存在しない命令が、すべて正確な時刻付きで残っている。停止信号は送られていた。ただし病院の中央時計が一秒進んでいたため、制御盤は「未来から来た無効命令」として破棄していた。

最後の六十秒目、市乃の過去の通話が流れた。

夫は閉じ込められていたのではない。保守員として、かごの下で作業していた。市乃が異常表示を見て手動リセットを押そうとしたとき、彼は叫んでいた。

〈あと一秒、待って。時計がずれてる〉

しかし市乃は恐怖で聞き取れず、リセットを実行した。その一秒後、かごが動いた。

曲の最後に余分な一秒が来た。そこには夫の声ではなく、現在の監査サーバーへの送信音が入っていた。事故を「保守員の手順違反」とした報告が、時刻同期の欠陥ごと外部へ提出される。

「一秒だけ待って」

それは救助を待つ夫の弱い願いではなかった。たった一秒を待てば事故を止められたという、機械と人間の境目に残された警告だった。