共同記憶を分割しません

 二十二世紀の離婚手続きでは、財産だけでなく〈共同記憶〉も分割する。

 家族旅行の立体映像。

 子どもの誕生日。

 何気ない夕食。

 保存容量と閲覧権を、元夫婦が半分ずつ選ぶ。

 父は海辺の旅行を希望した。

 母は入学式を選んだ。

「この動画は私が撮った」

「でも映っているのは俺と子どもだ」

「あなたは運動会へ遅れてきた」

「遅れたから権利がないのか」

 十四歳の娘は、分割画面の中央に座っていた。

 自分の記憶なのに、本人の欄はなかった。

「誕生日の映像は私にください」

 係員が首を振った。

「未成年者は、成人まで管理者を一人選びます」

「お父さんとお母さん、どっち?」

「はい」

「選びません」

 娘は端末を閉じた。

 両親はまた言い争った。

「手続きが進まない」

「大人になったら両方から受け取れる」

「それまで片方は見られないの?」

 娘は技術窓口へ相談し、別の方法を見つけた。

〈凍結共有庫〉

 誰の所有にもせず、成人まで三人とも閲覧できる。削除も編集もできない。費用は共同負担になるため、離婚する夫婦はほとんど選ばない方式だった。

「毎月お金がかかる」

 父が言った。

「記憶を取り合うより安い」

 母も渋った。

「嫌な映像まで残るのよ」

「私には嫌じゃないかもしれない」

 三人で記録を確認した。

 海辺の旅行では、父が日焼けし、母が笑って薬を塗っている。

 運動会では、遅れてきた父へ母が怒り、娘は二人の手を引いて走っている。

 最後の夕食では、誰も話さず、食器の音だけが響いていた。

「これも残すの?」

 父が尋ねた。

「楽しかったところだけ残したら、離婚の前は全部幸せだったことになる」

 娘は答えた。

「つらかったところだけなら、家族だった時間が全部嘘になる」

 共同記憶は、分割せず凍結された。

 両親は別々の居住区へ移った。娘は月ごとに家を替え、自分の新しい記録は自分の端末へ保存した。

 一年後、三人で古い映像を見る日を作った。

 誰も「戻りたい」とは言わなかった。

 同じ映像を見ても、父と母と娘で覚えていることは違った。だから一つの説明へ編集せず、それぞれの言葉を別の欄へ残した。

 夫婦は終わった。

 けれど家族だった記憶まで、どちらかの所有物にする必要はなかった。

 娘が成人した日、共有庫の管理者欄は、三人の名のまま残された。