内線一三一三
内線一三一三は、一日に一度だけ鳴る。
最初に取った者は名前を名乗らず、社員番号だけを告げる。相手が何を話しても質問してはいけない。保留も転送も禁止。相手が「間違えました」と言うまで、勤務時間が終わっても受話器を置いてはならない。
顧客相談室では、新人研修の最初に教わる規則だった。
海藤誠路は遅番が多く、月に三度は一三一三を取った。かかってくる内容は毎回違う。解約した犬の首輪を返したい老人、昨日の天気を返品したい女、息子の声だけ契約延長したい父親。海藤は「社員番号六〇八四です」とだけ答え、黙って聞いた。
母が施設へ入ってから、海藤は聞くことが得意になった。母は電話のたびに彼を別人だと思った。訂正すると怯えるので、最近は名乗らない。仕事の規則と同じだった。
ある夜、一三一三が鳴った。
「社員番号六〇八四です」
受話器の向こうで、炊飯器の蓋が開く音がした。
「誠路くん、いる?」
母の声だった。
海藤は質問してはいけない。名前を名乗ってもいけない。
「社員番号六〇八四です」
「お米、三合でよかったかしら。あの子、二合じゃ足りないのよ。帰るって言ったのに、まだ帰らない」
背後でテレビの時報が鳴った。施設の消灯時刻は過ぎている。母の部屋に炊飯器はない。
海藤はモニターの通話時間を見た。十三分を過ぎても、品質管理の警告は出なかった。同僚たちは終業し、照明が一本ずつ消えた。
「誠路くんは、私のことを忘れたのかしら」
海藤は受話器を握り直した。規則を破ればどうなるか、研修では教えない。ただ、破った者は翌日から名前で呼ばれなくなる。
「社員番号六〇八四です」
母はしばらく黙った。
「そう。間違えました」
回線が切れた。
翌朝、施設へ行くと、母は海藤を見るなり「相談員さん」と呼んだ。海藤は笑って、持ってきたおにぎりを二つ並べた。母は一つを誰かのために残した。
会社へ戻ると、一三一三の受話器がわずかに温かかった。送話口の穴に白い米粒が一つ詰まり、押しても取れない。
昼になると、その米粒から細い湯気が立ち、海藤の社員番号をゆっくり六回、八回、四回の順に曇らせた。