冷たい鮭の皮
日向野郁は、父に会う電車を一本遅らせ、駅の待合室で弁当を開いた。母が焼いた鮭が、ごはんの上に一切れだけのっている。朝、行き先を聞かれ、郁は友人の家と答えた。
両親が離婚したのは、郁が中学生のころだった。母は父を、家族を捨てた人だと言った。父は先月届いた手紙に、出ていけと言われたのだと書いた。どちらが嘘をついているのか確かめたくて会う約束をしたのに、そのことを母へ言えなかった。父の言葉を聞こうとするだけで、母を疑う娘になる気がした。
鮭はすっかり冷めていた。蓋を開けると焼いた皮の香りがし、身は箸を入れると細くほぐれた。郁は骨をよけながら、白い部分から食べた。
母は鮭の皮が好きだった。郁が子どものころ、皿の端へ残すと「ちょうだい」と嬉しそうに持っていった。だから郁は、大人になっても皮を食べないままだった。本当に嫌いなのか、母へ渡す役目を守っているだけなのか、考えたこともなかった。
身を食べ終えると、黒く縮んだ皮だけが残った。電光掲示板に、次の電車が近づく表示が出る。郁は皮を半分に折り、端を噛んだ。冷えて固い。けれど焦げたところには香ばしさがあり、思っていたほど嫌いではなかった。
残り半分を前に、父の手紙を開いた。母の言葉と父の言葉は、どちらか一方だけを食べなければならない二択ではない。二人が自分に都合のよい部分を話していることも、二人とも傷ついていたこともあり得る。
郁は皮を最後まで食べ、骨だけを紙へ包んだ。母へ返すものは残らなかった。
電車に乗る前、「帰りは七時ごろ」と母へ送った。誰に会うかは、まだ書けなかった。それでも、友人の家とは訂正した。
次の電車まで五分あった。郁は、父から何を聞いても、その場で判決を出さないと決めた。母を守るために父を憎み続ける必要も、父を理解するために母を悪者へ変える必要もない。今日の自分は、話を聞く娘でいればよかった。
空の弁当箱を鞄へ入れると、父の手紙と母の箱は、同じ場所で蓋を閉じた。