冷蔵庫の一段目
土曜日の午前十一時、私は冷蔵庫の扉を開けたまま、何を食べるかではなく、何から謝るべきか考えていた。
しなびた小松菜。切り口が乾いた半分の玉ねぎ。賞味期限が昨日の豆腐。奥には、先週「今度こそ自炊する」と買った鶏むね肉が、冷凍されないまま横たわっている。
扉のポケットには、使い切れないドレッシングが三本あった。和風、ごま、シーザー。どれも最初の数回は気に入っていた。私は選ぶたびに、未来の自分を少し健康にできる気がしていた。
休日の予定は、冷蔵庫を空にして、棚を外して洗い、一週間分の作り置きをすることだった。動画では、透明な保存容器に色の違うおかずが整然と並んでいた。私も容器だけは同じものを買ってある。
レシートを見ると、野菜を買った日の私はだいたい機嫌がいい。週末の自分に時間があり、包丁を持ち、彩りまで考えられると信じている。その期待が冷蔵庫の奥でしおれていくのを見るたび、食材より先に自分を腐らせたような気持ちになった。
まず豆腐を取り出した。匂いを確かめ、まだ食べられそうだと思いながら、結局ごみ袋に入れた。鶏肉も、小松菜も続けた。食材を捨てるたび、値段と、選んだ日のやる気まで捨てている気がした。
一段目の棚を外し、台所用のシートで拭く。こぼれた醤油の跡は一度では落ちず、二度、三度とこすった。白い棚が見えると、急に力が切れた。
二段目には手をつけなかった。野菜室も開けなかった。保存容器も出さない。
ごみ袋の口を結ぶ前に、私は小松菜へもう一度謝りそうになった。けれど声にはせず、袋を閉じた。次から絶対に無駄にしない、という約束もしなかった。そんな約束はたいてい、次の私を追い詰めるだけだ。
空になった一段目へ、昨日買った炭酸水を一本だけ置いた。ラベルの水色が、妙にきれいに見えた。扉を閉めると、モーターが低く鳴り始める。
昼食はカップ麺にした。湯を待つ三分のあいだ、私は冷蔵庫をもう一度開けた。一段だけが白く、炭酸水だけが冷えている。
全部きれいにする休日ではなかった。けれど、ひとつ置く場所ができた。私は冷えたボトルを取り出し、まだ昼前なのに、もう今日の家事を終えたことにした。