出てくるまでが手品です
舞台奇術師だった父の追悼公演で、苔縄友成はフェレットの「アンコール」を使うつもりだった。
父の十八番は、空の帽子からアンコールが現れる手品だ。友成は幼いころから仕掛けを知っていた。舞台袖の暗い箱から細い通路を抜け、帽子の二重底へ入る。
だが稽古でアンコールは箱へ入らなかった。
餌で誘っても、鼻先を入れて戻る。無理に抱くと、友成の腕へしがみついた。
「父さんのときはできただろ」
焦る友成を、古参の照明係が止めた。
「最後の一年は、やってないよ」
父の演目表を調べると、帽子の手品だけ赤線で消されていた。稽古帳には理由が書かれていた。
〈アンコール、暗箱で震える。年を取って怖くなったらしい〉
〈拍手のために怖い場所へ入れるのは手品ではない。ただの都合だ〉
〈出る場所は本人に決めてもらう新作を考える〉
新作の頁は白紙だった。
公演中止を口にすると、照明係は首を振った。
「白紙なら、おまえが続きをやればいい。同じ手品じゃなくていい」
本番の日、舞台には五つの色違いのトンネルが置かれた。どこを通るか、そもそも通るかもアンコール次第。友成は客席へ説明した。
「この手品には、成功の時刻が決まっていません。出てくるまで、静かにお待ちください」
アンコールは青いトンネルを嗅ぎ、赤を半分まで進み、戻った。客席から笑いが起きた。友成は父のように急かさず、床へ座った。
長い一分のあと、アンコールはトンネルを全部無視し、友成のズボンの裾から潜り込んだ。
膝、上着、袖。
そして襟元から顔を出した。
劇場が拍手で揺れた。
友成は笑いながら、アンコールを胸で受け止めた。父の手品を再現できなかったことが、初めて悲しくなかった。
終演後、稽古帳の白紙へ書いた。
〈新作・出てくるまでが手品です〉
〈仕掛け――待つこと〉
〈演者――アンコール本人〉
その下へ、少し迷ってから付け足した。
〈父の役を継ぐ必要はない。怖がる相手を待てる人であればよい〉
アンコールは帳面の角をくわえ、舞台袖へ運んだ。
秘密を隠したのではない。
次の出番まで、安全な場所へしまったのだ。