十一代目のただいま
里親の家を移るたび、杜若頼奈は小さなメダカ鉢を抱えていった。
最初の一匹は、七歳の夏祭りで世話係の女性に買ってもらった。赤い尾の子を「夕焼け」と名づけた。夕焼けは二年で死んだが、卵から子が生まれ、その子にもまた子が生まれた。
家は変わった。苗字も二度変わった。部屋の広さ、食卓の匂い、「おかえり」を言う声も変わった。
けれど鉢だけは、どこへ行っても窓辺に置いた。
十六歳で入った最後の里親宅で、頼奈は「もうすぐ自立だから、家族のふりをしなくていい」と言った。里母の槙生は怒らず、鉢をのぞいた。
「この子たち、何代目?」
「たぶん十一代目」
「最初の子とは、もう別の魚ね」
頼奈はむっとした。
「つながってる」
「そうね。別の命だけど、つながってる」
槙生はそれ以上、何も言わなかった。
十八歳の春、頼奈は家を出た。玄関で槙生が「いつでも帰っておいで」と言ったが、頼奈は返事をしなかった。帰るとは、同じ場所へ戻る人が使う言葉だ。自分には似合わないと思った。
それから十二年後、頼奈は児童相談所の面談室にいた。向かいの椅子には、九歳の少年が座っている。里親登録をした頼奈と、初めて会う子だった。
少年は一度も目を合わせず、透明な飼育ケースを抱えていた。中を泳いでいるのは、三匹のメダカだった。
「それ、連れていきたい?」
頼奈が尋ねると、少年はケースを抱く腕へ力を込めた。
「だめなら、行かない」
その声が、昔の自分と同じ場所から聞こえた。
「だめじゃない。うちにもいるから」
「何が?」
「この子たちの、ずっと遠い親戚みたいなの」
少年が初めて顔を上げた。
頼奈の家の窓辺には、夕焼けの十五代目がいた。槙生が今も毎年、卵を分けてくれる。家を出てから一度も途切れなかった。
その夜、少年は新しい鉢へ自分の三匹を移した。頼奈のメダカと混ぜず、隣に並べた。無理に一つにしなくても、隣で泳ぐことはできる。
寝る前、少年が小さく尋ねた。
「ここ、いつまでいていいの」
頼奈は、十二年前に返せなかった言葉を、今度は間違えずに渡した。
「出かけてもいい。離れてもいい。でも、帰りたいと思った日は、いつでもただいまって言っていい家だよ」
翌朝、台所へ来た少年は、頼奈ではなく二つの鉢に向かって言った。
「おはよう」
少し迷ってから、もう一言。
「ただいま」
メダカたちは、水面いっぱいに朝の光を砕いた。
別の命でも、つながっている。
槙生の言葉を、頼奈はようやく自分の言葉として受け取った。