午前零時の校内放送
校舎が取り壊される前夜、私たちは放送室へ忍び込んだ。
旧校舎は翌朝から立入禁止になる。卒業生でもない私たちが寂しがる理由は、昼休みの放送を三年間続けたからだった。
鍵は放送委員長が返却前に合鍵を作っていた。
「完全に犯罪」
「録音したら証拠が残るね」
笑いながらも、扉を開ける手は震えた。
機材はほとんど運び出され、残っているのは古いマイクとアンプだけ。校内スピーカーへつながるかは分からない。
私たちは最後の放送原稿を用意していた。
先生にも生徒にも聞かせない、校舎だけへ向けた放送。
電源を入れると、小さなノイズが鳴った。
赤いランプ。
「こちら、放送室」
委員長の声が夜の廊下へ流れた。
空っぽの教室、誰もいない階段、剥がされた掲示板。返事はない。それでもスピーカーが一つずつ声を運んでいる気がした。
私たちは交代で話した。
昼休みの曲を間違えた日。放送中に笑ってしまった日。相談の手紙へ答えられなかった日。卒業する先輩のリクエストを流した日。
最後に、委員長が原稿を閉じた。
「ここからは書いてない」
彼女はマイクへ近づいた。
「この学校がなくなっても、私たちが話した声までなくなるわけじゃない。でも、なくならないふりをするのは嫌です。寂しいです」
声が震えた。
私は隣のマイクを入れた。
「私も」
短すぎる言葉が、校舎中へ響いた。
そのとき、廊下のスピーカーから別の声が返った。
「こちら、職員室。聞こえています」
教頭先生だった。
私たちは凍りついた。
叱られると思った。けれど、続いたのは、
「最後の曲を一曲、許可します」
という言葉だった。
教頭先生も残っていたらしい。忍び込みは最初からばれていた。
私たちは三年間、昼休みの最後に流した曲を再生した。
音は途切れ、片方のスピーカーは割れていた。それでも校舎は最後まで聞いてくれた。
翌朝、合鍵を封筒へ入れ、教頭先生の机に置いた。
放送室のことは、処分記録にも議事録にも残らなかった。
旧校舎がなくなったあと、委員長から録音データが送られてきた。
最後に小さく、教頭先生の咳払いまで入っていた。
私たちはそれを、三人だけの最終放送として保存した。