午前零時の残高

月末の午前零時、地方銀行の勘定処理が二度走りかけた。

運用室の八木沢壮一は、壁一面の画面に「未完了」と出た瞬間、再実行ボタンへ伸びた上司の手を止めた。夜間バッチは、日中の振込や引落しを残高へまとめる。遅れれば朝のATMが開けない。だから未完了なら、もう一度走らせる。それが手順書だった。

「待ってください。未完了でも、何もしていないとは限りません」

壮一は処理件数を確認した。百十二万件のうち、百十一万九千八百件までは終わっている。止まったのは最後の二百件だけだ。ここで最初から再実行すれば、完了済みの引落しまで二重になる可能性がある。

原因は、予備系へのレプリケーション遅延だった。主系では残高更新が終わっているのに、予備系が追いつかず、監視側だけが「完了を確認できない」と判断していた。

上司は眉を寄せた。「手順では再実行だ」

「その手順は、処理開始前に止まった場合です。今は途中まで通っています」

壮一は再実行を禁止し、完了済みの番号を固定した。残り二百件だけを抽出し、照合用のリコンシリエーション表と突き合わせる。眠気の残る担当者二人には、同じ表を別々に確認させた。急ぐ夜ほど、一人の目を信用しすぎてはいけない。

一時四十二分、残りの処理が終わった。その間、営業店からは「何時に終わる」と三度問い合わせが来たが、壮一は見込み時刻を答えず、確認済み件数だけを返した。焦りに合わせた約束は、次の誤操作を呼ぶ。主系と予備系の件数が一致し、壁の表示が緑に変わる。上司は手順書の余白へ、赤字で一行を書き加えた。

《未完了の範囲を確認してから再実行すること》

壮一の名前はどこにも書かれなかった。それでよかった。銀行の有能さは、誰かが英雄になることではなく、朝になって誰も異変に気づかないことだ。

五時、ATM開局の確認音が鳴る。

同時に、別の画面が黄色く点滅した。給与振込ファイルが一社分だけ届いていない。

壮一は椅子を回した。月末の夜は終わったが、給料日の朝が始まっていた。