午前零時の音声
午前零時四分、七瀬の枕元でスマートフォンが震えた。父から二分十七秒の音声メッセージが届いている。
再生しなくても内容は想像できた。昼に来た〈今度の連休は帰るんだろ〉へ返事をしていない。父は文字で待てなくなると、声を送りつけてくる。低い咳払いから始まり、「娘なんだから」で終わる声を。
七瀬はイヤホンをつけ、一度だけ再生した。
案の定、帰省の日程、祖母への顔見せ、近所への挨拶が順番に決められていた。最後に、「既読ぐらいつけろ。家族を無視するな」と入っていた。
再生済みの印が青く変わる。すぐに〈聞いたか〉と文字が来た。
七瀬はベッドを出て、台所で水を飲んだ。冷蔵庫の明かりの中で、返信を書いた。
〈夜十時以降の音声は、翌朝に聞きます〉
〈帰省の日は私が決めて、決まったら連絡します〉
送信ボタンの上で親指が止まる。冷たい娘だと言われるだろう。だが、今すぐ答えるたび、父の深夜が七瀬の朝まで入り込んできた。
送った。
父から電話の着信が始まった。七瀬は切り、続けて一文を送る。
〈緊急なら二回続けて電話して。今夜の話は緊急ではありません〉
着信は一度で止まった。
翌朝七時半、父から短い文字が届いていた。
〈分かった。連休は決まってからでいい〉
その下に、音声ではなく〈おばあちゃんには俺から言う〉と続いている。
謝ってはいない。七瀬も、昨夜の声を許したわけではない。それでも文字なら、読む時刻を自分で選べた。
波形の長い音声は、七瀬が再生するまで未読の印を残す。父はそれを見て、起きているか、無視しているかを確かめていた。七瀬も、聞かないまま眠れば何か起きる気がして、どんな夜でも再生してきた。今日は音声を保存せず、チャットの「通知を抑制する時間」に午後十時から午前七時を設定した。父の声を消すのではなく、届く時刻と聞く時刻を切り離した。
七瀬は〈ありがとう〉ではなく、〈決まったら連絡する〉と返した。スマートフォンを伏せ、カーテンを開ける。昨夜の二分十七秒は、朝まで持ち越さず、画面の中に置いておけた。