半回転の丸盆

老舗旅館の試飲会で、顧問の猪俣が蓋付き茶碗を一口すすり、卓へ崩れた。盆には鶴絵と松絵、二つの茶碗が載っていた。猪俣は客に選択の公正さを見せるため、自分で一方を指したという。毒は彼の前にあった鶴絵の茶だけから出た。

同席したのは共同経営者の桐生、後継候補の久我、仲居頭の畑中。畑中が二杯を盆へ置き、久我は記録係として壁際に立ち、桐生だけが猪俣の隣に座っていた。試飲会の結論次第で桐生は経営権を失い、久我は後継から外れ、畑中は長年の勤め先を去ることになる。三人とも理由はあったが、誰も茶碗そのものには触れなかったと主張した。

客の九条は丸盆を見つめた。

「必要な手掛かりは三つです」

一つ目。猪俣は選ぶ時、「松は長寿の印だ」と言って松絵を指した。それなのに倒れた時、彼の正面には毒入りの鶴絵があった。

二つ目。盆にこぼれた蜂蜜は、茶碗の周囲へ半円の弧を描いて伸びている。茶碗を持ち上げず、盆だけを百八十度回した跡だった。

三つ目。選択の後に盆へ手を触れたのは桐生だけである。彼女は「扇子が盆の縁に当たったので直した」と認めている。

畑中は配膳後すぐ襖際へ下がり、久我も壁際から動かない。三つ目の事実を否定できる者はいなかった。

桐生は扇子を閉じた。

「盆が回ったとしても、畑中さんが置く向きを間違えたのでは?」

九条は蜂蜜の弧に沿って盆を半回転させ、鶴絵と松絵を選択時の位置へ戻した。

「猪俣さんは無毒の松絵を選んだ。あなたは扇子を直すふりで丸盆を半回転させ、あらかじめ毒を入れた鶴絵を彼の前へ移した。選んだ絵と倒れた時の絵が違うこと、蜂蜜が回転の弧を残すこと、選択後に盆へ触れたのがあなただけであること。この三点で仕掛けも実行者も一つに定まります」九条が盆を元へ戻すと、松絵は猪俣の席へ帰った。毒を入れた器を直接動かさず、二杯の位置関係だけを反転させたから、誰も「茶碗に触れた者」を見ていなかったのである。桐生の扇子だけは、もう開かなかった。