反対ホームの口パク
雨宮瑞季は、反対側のホームに鳥居直継を見つけた。
部活帰りの午後七時。上りと下りのホームは線路二本分離れ、声をかけてもアナウンスに消される距離だった。
直継も気づき、片手を上げた。瑞季も上げる。
彼は何か言った。
「え?」
聞こえるはずがないのに、瑞季は耳へ手を当てた。直継は笑って、もう一度ゆっくり口を動かす。
あ・し・た・の・あ・さ。
そこまでは読めた。
瑞季は胸の前で大きく丸を作った。明日の朝、いつもの電車。そういう意味だと思った。ちょうど線路を貨物列車が通り、直継の姿が数秒隠れた。再び見えたとき、彼はまだ同じ場所に立ち、返事を待っていた。
直継は首を振り、今度は両手で四角を作った。教科書? 窓? 写真? 瑞季が眉を寄せると、彼は鞄からスマートフォンを出した。
すぐに瑞季のポケットが震えた。
『明日の朝、転校する弟を見送りに来る。一本早い電車』
ただの連絡だった。瑞季はなぜか少しだけがっかりし、『了解』と返した。
二人は授業中、教師に見つからないよう口の形だけで会話する遊びをしていた。『眠い』『当てられる』『答え三番』。瑞季はいつも読み違え、直継に笑われた。それでも今日は、彼の唇がいつもよりはっきり見えた。電灯の下で、ひとつひとつの音を確かめるように動いていた。
そのとき上り列車の接近放送が流れた。直継の側へ白いライトが近づく。彼はもう一度、口を動かした。
今度は短かった。
す・き・だ。
瑞季は固まった。聞き間違いならぬ、読み間違いかもしれない。直継は時々、ふざけて「月だ」「駅だ」などと口だけで言う。
瑞季がスマートフォンを掲げ、もう一度送れと合図すると、直継は首を振った。電車がホームへ滑り込み、二人の間に銀色の壁が立つ。
窓が連なって通り過ぎる。直継の姿は細切れになり、やがて完全に隠れた。
瑞季の画面が震えた。
『続きは明日の朝』
上り列車が発車すると、反対ホームにはもう誰もいなかった。
瑞季は自分の電車を一本見送った。明日乗るはずの「一本早い電車」が何時なのか、調べる時間が必要だったからだ。