受領印までの遠回り
配達員の影は、荷物より先に届け先へ着いてはいけない。
集荷時に持ち主から離れ、別の道を歩くことは認められている。ただし受領印が押される瞬間には、配達員の踵へ戻っていること。影が戻らない荷物は持ち帰れず、受取人が不在でも玄関前で待ち続ける。
蓑島透は、影の遠回りが長いことで営業所では有名だった。
朝、バイクを出すと影は反対方向へ歩きだす。透が川沿いを走れば商店街へ入り、近道を選べば歩道橋を渡る。配達先には必ず透より遅れて現れ、受領印の直前に足元へ滑り込んだ。遅配にはならないので、誰も注意しなかった。
透は一人暮らしで、休日にも予定がなかった。影だけが知らない店の油染みをつけ、見たことのない桜の花びらを連れて帰った。自分より街を知っている足元を、少し羨ましく思っていた。
ある日、宛先が空欄の小包を任された。住所は営業所端末にだけ表示される。古い団地の三号棟、四〇六号室。そこは五年前まで透が恋人と暮らした部屋だった。
別れた後、彼女は引っ越したと聞いている。表札も外され、郵便受けにはテープが貼られていた。端末には《対面受領のみ》とある。
透が階段を上がる間、影は団地の裏へ回った。四〇六号室の前で待っても戻らない。呼び鈴を押す。室内から足音はしない。規則により、影が戻るまで不在票も入れられない。
日が傾き、廊下に柵の影が伸びた。透の影だけがない。営業所から何度も電話が来たが、事情を告げると「受領印まで待て」と言われた。
十九時十三分、ドアの下から黒い指先が出た。透の影だった。鍵のかかった室内にいたらしい。影は小包を指し、それから玄関脇の古い傷をなぞった。二人で家具を運び込んだ日に、食器棚をぶつけた跡だった。
ドアが内側から少し開いた。誰もいない。床には家具もなく、夕日の四角だけがあった。透の影は部屋の中央を一周し、踵へ戻る。
端末が受領画面へ切り替わった。受取人欄には透の名前が表示されている。自分で自分の荷物へ印を押すことは禁止されていない。
透は朱肉をつけ、受領印を押した。
小包の中には、四〇六号室の玄関マットが入っていた。裏面に、二人分の靴跡が黒く残っている。片方は外へ向き、もう片方は部屋の奥へ向いていた。