合鍵と輪ゴム
裁縫箱だと思って開けた缶に、鍵が十二本入っていた。
依澄は畳の上へ一本ずつ並べた。勝手口、物置、自転車、もうない郵便受け。用途の分からない鍵には、色褪せた輪ゴムが巻かれている。
その中に、桃色の輪ゴムをつけた新しい鍵があった。小さな札には、母の字で「いずみ」と書いてある。
依澄は自分の鞄から鍵を出し、溝を見比べた。同じだった。
「これ、どうしたの」
段ボールにタオルを詰めていた母は、振り向きもしなかった。
「何かあったとき困るでしょう」
「渡してないよね」
「前に預かった鍵で作ったの。親なんだから、それくらい」
依澄の部屋に母が突然いた日のことを、説明する必要はなかった。桃色の輪ゴムが、勝手に開いた玄関の音まで覚えている。
「新しい家にも持っていくつもりだった?」
母はようやく顔を上げた。
「あなたは連絡が遅いから。倒れていたらどうするの」
「連絡が遅いことと、入っていいことは別」
「家族を他人みたいに言わないで」
依澄は缶の横に三つの紙皿を置いた。「使う」「不明」「処分」。母の鍵は母に選ばせるつもりだった。けれど桃色の一本だけは、迷わず自分の鞄へ入れた。
代わりに、実家の合鍵を外す。銀色の鍵には、母が巻いた黄色い輪ゴムが残っていた。
「これも返す」
「帰ってこられなくなるわよ」
「来るときは連絡する。お母さんの新しい部屋にも、勝手には入らない」
母は黄色い輪ゴムを指で弾いた。
「そんな面倒な親子、いる?」
「ここにいる」
静かな言葉だった。怒鳴らなかった分だけ、母には聞き逃せなかったらしい。
母はしばらく鍵を見つめ、それから「使う」の紙皿へ置いた。依澄の合鍵を返せとは言わなかった。
缶の底に、輪ゴムだけが三本残った。依澄はそれをまとめて捨てようとして、やめた。母へ渡す。
「どの鍵につけるかは、自分で決めて」
母は輪ゴムを受け取り、一本を新居の鍵に巻いた。桃色でも黄色でもない、青い輪ゴムだった。
依澄は缶の蓋を閉めた。鞄の中で、自分の鍵が二本触れ合う。帰ったら管理会社へ電話しようと思った。母に告げるためではなく、自分の玄関を自分だけのものに戻すために。