名を奪われた少年の呼び鈴
奴隷商館では、買われた者から最初に名前を取り上げる。
少年トルクも「百七番」と呼ばれて三年目だった。今夜、商館主は百人の奴隷を国外へ運ぶ。馬車の扉には、名前を持たない者には破れない呪印がある。
仲間を逃がすには、皆の名前を取り戻すしかない。鍵だけ盗んでも、呪印は番号を商館の所有物として判定する。
トルクは倉庫の隅で、唯一残った自分の記憶――母が呼んでくれた音を口の中だけで繰り返した。その時、首輪の裏に淡い文字が浮いた。
《条件達成:呼ばれなくても自分の名を忘れなかった者》
《主人公専用排出枠〈真名〉を解放》
《一度だけ、必要な呼び声を排出します》
引く。現れたのは、宿屋の卓上にありそうな小さな呼び鈴だった。
《持ち主を呼ぶ鈴》
《失われた物の本来の持ち主を呼び戻す》
「金でも鍵でもないのか」
見張りが嘲笑した。トルクは鈴を一度鳴らす。
澄んだ音が商館を抜け、荷馬車を抜け、夜の町へ広がった。
百七番の胸に「トルク」が戻る。隣の少女が息をのみ、「私はサリナ」と呟く。老人は「ドメル」、双子は「リッカ」「ネイ」と互いを呼んだ。奪われて帳簿へ封じられていた百の名前が、持ち主の胸へ一斉に帰っていく。
名前を得た瞬間、首輪の所有呪文が砕けた。馬車の呪印も、名を持つ者を閉じ込められず剥がれ落ちる。
さらに二階から悲鳴が上がった。金庫に隠されていた金貨、土地証書、家族の形見までもが本来の持ち主のもとへ飛び始めたのだ。商館主の指から、盗んだ領主印が抜けて窓の外へ消える。
「止めろ! それは私の財産だ!」
トルクは開いた扉の前で振り返った。
「じゃあ、あなたの名前を言ってみろ」
他人の身分を買い続けた商館主は、自分の真名すら契約の代価にしていた。口を開いても、番号一つ出てこない。
百人はそれぞれの名を呼び合いながら夜明けへ歩き出した。
鈴の底に最後の文字が刻まれる。
《創世級〈万物返名鐘〉》
《世界初解放:所有権の虚偽を百三十二件破棄》
《取得者名――トルク。番号ではない》