名札の旧姓

同窓会の受付で渡された名札には、卒業名簿の名前が印刷されていた。

榧野瑞希は自分の札を胸につけ、小松崎陸は「字が小さい」と文句を言い、平良郁美は〈平良〉の二文字を親指で隠した。今の名字は安藤だが、来月にはまた平良へ戻る。

「訂正してもらう?」と瑞希が聞いた。

「一晩くらい、昔でいいよ」

郁美の名札には、結婚後の十年も、離婚届を鞄に入れてきた今夜も印刷されていなかった。

三人はホテルの宴会場の隅で、乾杯の輪から外れていた。高校時代は同じ生徒会で、卒業式の答辞を三人で書いた。〈私たちは変化を恐れず、それぞれの道へ進みます〉。あの一文を考えたのが誰だったか、もう覚えていない。

陸は地元銀行の支店長代理になっていたが、春に辞めるという。

「親父の介護?」

「それもある。でも、商店街の空き店舗で修理屋をやる。家電でも自転車でも、直せるものは直す」

「銀行員より似合う」と郁美が言った。

「褒めてないだろ」

瑞希は東京の出版社で雑誌を作っている。今夜、同級生たちは「成功したね」と何度も言った。彼女はグラスの氷を回しながら、四月から契約社員へ戻ると打ち明けた。

「介護雑誌を立ち上げる部署に移る。給料も肩書も下がる。でも、母が読めるものを作りたい」

郁美は離婚後、娘と二人で海辺の町へ移る。そこで小さな宿の管理人になる予定だった。

「三人とも下る感じだね」と陸が言った。

瑞希が笑う。「上って、どっちだった?」

宴会の司会が、十年後の再会を呼びかけた。郁美は返事をせず、名札を外した。裏面は白く、ピンの穴だけが開いていた。

「次に会うとき、何て印刷されてるかな」

「名前は同じでも、説明が変わる」と瑞希。

陸は自分の名札の肩書欄へ、ボールペンで〈修理中〉と書いた。瑞希も〈編集中〉、郁美は少し迷って〈戻る途中〉と記した。

三人は名札をテーブルに並べ、二次会へ行かずに別れた。

翌朝、ホテルの片付け係は三枚を落とし物として保管した。旧姓も肩書も読めたが、持ち主を示す住所はどこにもなかった。