向かい側は空けない

藍子はファミリーレストランの四人席で、父の向かいに座った。

父はすぐ隣の椅子を指で叩いた。

「そこじゃ話しづらいだろ。こっちに来い」

「ここでいい」

「昔からお前の席はこっちだ」

父の右隣。子どものころから決められていた場所だった。注文を間違えれば父が言い直し、食べるのが遅ければ皿を寄せ、話に割り込めば膝を押さえられる席。向かいに座る母の顔は見えたが、父の表情だけは見なくて済んだ。

今日は正面から見ると決めていた。

店員が注文端末を置く。父は慣れた手つきで画面を開き、「オムライスでいいな」と言った。

「辛口のカレー」

「お前、辛いの苦手だったろ」

「今は好き」

「いつから」

「知らない。聞かれたことなかったから」

父の眉間に線ができた。藍子は端末を受け取り、自分で辛さを一段上げた。父は何も追加せず、日替わり定食を選んだ。

料理が来るまで、テーブルの端に置かれた占いの機械が七色に光っていた。父は仕事の話を尋ね、藍子は答えられる範囲だけ答えた。住んでいる場所の詳しい番地には触れず、交際相手の名前も言わなかった。父は二度聞いたが、三度目はなかった。

カレーは想像より辛かった。藍子が水を飲むと、父は口を開きかけた。

「だから言った」と続くはずの形だった。

しかし父は、自分の水差しを藍子の近くへ置いただけだった。

「辛い」

藍子は自分から言った。

父は箸を動かしながら、「そうか」と答えた。

隣の椅子は最後まで空いていた。父の鞄が床に落ちそうになり、藍子はその椅子を指した。

「そこ、使えば」

父は鞄を置いた。黒い鞄が、長く藍子のために空けられていた場所をふさいだ。

会計を済ませ、店を出る。父は駐車場の方向を示した。

「送る」

「電車で帰る」

「遠いぞ」

「分かってる」

父は鍵を取り出し、それ以上は言わなかった。

藍子は駅へ向かった。振り返ると、窓越しに例の席が見えた。父の右隣には黒い鞄だけが残り、向かい側の椅子には、もう彼女の熱があった。

自分で選んだ辛さも、その距離も、まだ舌の上に残っていた。